2019年08月20日

大正製薬の創業者

MARS2020














リポビタンDと言えば大正製薬。大正製薬といえば上原家。

これが常識だが、実は大正製薬の創業者は上原家ではなく、私と同じ町(香川県三豊市高瀬町)の出身者であることを最近知った。それが石井絹治郎

明治21(1888)年 愛媛県三豊郡比地中村で生まれる(当時、香川県は愛媛県に併合されて存在しなかった
明治32(1899)年 比地尋常小学校卒業
明治34年(1901)年 訳業見習いのため上京
明治37(1904)年 大日本製薬に勤務しながら、明治薬学校(現明治薬科大学)夜間部に入学
明治43(1910)年 従兄妹である下勝間出身(現高瀬町)の豊島ムメと結婚
明治44(1911)年 二ノ宮村(現高瀬町)出身の高木好彦(妻は豊島ムメの妹)が上京し、以来大正製薬及び絹治郎の片腕となる
大正元(1912)年 大正製薬所設立「體素」「ヘモグロビンエキス」「ヘモグロビン菓子」等の製造販売を始める
大正15(1926)年 日本薬剤師会理事並びに東京府薬会長に就任(府薬会長は昭和18年に没するまで重任)
昭和3(1928)年 株式会社大正製薬所と改組
昭和12(1937)年 東京商工会議所議員
昭和18(1943)年 5月9日永眠。東京商工会議所会頭、藤山愛一郎が葬儀委員長。

明治薬学校は首席で卒業。当時今よりも難しかった薬剤師国家試験には18歳で一発合格しているから、家が貧しくて尋常小学校しか出ていなかったものの、よほど優秀だったらしい。試験には合格したものの、当時の資格取得年齢は20歳だったため、免許交付は2年間保留になっている。

そして、改元と同時に設立したのが大正製薬所。創業以来、石井の右腕として事業を支えたのは同郷の高木だった(うちの隣村なので遠い親戚かも)。

会社は順調に発展し、昭和18年に絹治郎が亡くなった後は、同じく明治薬学校を卒業して研究者の道を歩んでいた長男輝司が二代目社長に就任する。しかし、本人は徴兵されて戦地におり、形だけの社長であった。戦後、帰国した後も、経営に興味を持たず研究の道を志し、明治薬科大学の教授となっている。孫の敬太朗は現在、明治薬科大学の学長だ。

その後の経営を担ったのが、戦争中専務として会社を支え、昭和21(1946)年三代目社長に就任する上原正吉。上原は19歳のときに絹治郎に見いだされ、大正製薬所で働きながら絹治郎同様、明治薬学校夜間部に通った。そして、その後、上原家が代々社長を務めることになる。

その間何があったのかWikipediaには次のように記載されている。

上原が社長に就任する際、株で半ば強引に乗っ取り、その後、当時多数勤務していた創業者一族である石井家と、その親族(石井絹治郎の妻ムメ方の豊島家一族など)を大幅に解雇するなど、創業者一族である石井家とその親戚筋とは確執がある。


shikoku88 at 22:22コメント(0) | 四国 | 経済 

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