2019年04月10日
帝国を紡ぎ出した材料「絹」
戦前の輸出品の半分が生糸だったというのに驚く(下図)。今でいえば、機械産業と自動車産業を合わせたくらいの一大輸出産業。多大な投資を要した日本の工業化と富国強兵策を支えたのは、「ただ一種の昆虫の幼虫が吐き出す、細い糸であった」のだ。
高度成長期に育った私は、桑畑など見たことがないが、「昭和初期には、全畑地面積の1/4を桑畑が占めて」おり、「日本の農家の約4割が、家で蚕を飼っていた」というのだから、これにも驚く。農家の屋内には、人間が寝るスペースを削って蚕だなが作られ、蚕が桑の葉を貪り食う音が響き渡っていたという。まさに、「おかいこさま」である。
その蚕は、日本得意の品種改良で生産性が年々高められた。明治後半と、国内での養蚕が終焉した昭和50年代では、蚕一匹あたりの生糸生産量が約10倍になっていたという。その代わりに蚕は、野生で生きていく能力を完全に失ってしまい、「幼虫は、自力で木の幹につかまり続けることができず、成虫は空を飛ぶこともできない。現代の蚕は、摂取したタンパク質の6-7割を絹糸へと変換する、超高効率の製糸マシーン」と聞けば、悲しくなる。
111:おかいこさま戦前の日本地図を見てみれば、桑畑の記号があるのは不思議でも何でもないとわかる。昭和初期には、全畑地面積の1/4を桑畑が占めていたのだ。その頃は、日本の農家の約4割が、家で蚕を飼っていた。その餌として不可欠な桑が、大量に栽培されたのは当然のことであった。117:絹の道運び込まれた絹は、ローマにおいて高い人気を博した。同じ重量の金と同価格で取引されるほどに絹が高騰したため、初代ローマ皇帝アウグストゥスは絹の着用禁止令を出したほどだ。121:製紙工場で作られた生糸は、大規模に輸出され、日本の基幹産業となっていた。1922(大正11)年には、日本の総輸出額の48.9%を生糸が占めるまでになった。こうして得た外貨によって、日本は工業化と富国強兵策を押し進め、明治維新からわずか数十年で列強と肩を並べる国家へと駆け上がった。その原動力となったのは、ただ一種の昆虫の幼虫が吐き出す、細い糸であったのだ。122:品種改良で蚕一匹あたりの生糸生産量が明治から昭和にかけて10倍にその代わりに蚕は、野生で生きていく能力を完全に失ってしまった。幼虫は、自力で木の幹につかまり続けることができず、成虫は空を飛ぶこともできない。現代の蚕は、摂取したタンパク質の6-7割を絹糸へと変換する、超高効率の製糸マシーンと化しているのだ。あらゆる家畜の中で、野性に戻る能力を完全に失った唯一の生物といわれる。


