2019年02月01日
昭和の外国人旅行事業
昨日、学生時代のJTBでのアルバイトのことを書いたが、戦前戦後を通して、外国人観光客の受け入れの中核を担ったのがJTB。昭和5年(1930)には国際観光局が鉄道省の外局として誕生する。それまでは「観光など産業ではない」というのが政府の大方の見方であったが、第一次世界大戦後の不況で輸出が振るわずに、相対的に観光業の重要性が高まる。外客誘致が初めての国策になった。
戦後の米軍による占領時代は、ボロボロで超満員の日本の列車をしり目に、優雅な連合軍専用列車が走ったという。進駐軍は、戦災を逃れた優等列車の展望車、寝台車、食堂車、二等車を次々と接収して車内の改造と整備を命じたのだった。連合軍専用列車には横一文字に白線が描かれ、一目で区別できるようになっていたという。
第7章 昭和戦後の急成長197:駅のRTOと連合軍専用列車Railway Transport Office 進駐軍が必要とする旅客列車貨物列車の監視のため駅に設けられた指令室。日本の列車は、座席は破れて窓は板張り、いつも超満員で身動きが取れない。進駐軍は専用列車で別世界の移動。進駐軍は、戦災を逃れた優等列車の展望車、寝台車、食堂車、二等車を次々と接収して車内の改造と整備を命じた。
205:進駐軍兵士が訪ねた原爆ドーム原子力爆弾の威力を実感できる場所。208:原爆被害の人々を欧米人に見せたくなかった?S27 Japan The Official Guide(運輸省観光部)文庫サイズ1000pを超えるボリューム。広島市の紹介はわずか2ページ。その後の改定版でも、S29年に完成した平和記念公園も、同30年にオープンした陳列館も一切紹介していない。S39 The New Official Guide: Japan(国際観光振興会)新書サイズ1100p超。広島市の案内は4.5p公式旅行案内としては初めて原爆ドームや平和公園が記述されるが、平和記念資料館の展示にはいっさいふれていない。
