2019年01月31日

明治45年Japan Tourist Bureau設立




20歳の春、私は日本交通公社(現JTB)で働いていた。大学の3-4年の間の春休みに外国人旅行事業部で添乗員のアルバイトをすることにしたのだ。そろそろ就職を意識し始める時期で、商社志望の同級生には英会話学校に通う者もいた。

私も漠然と、「いつかは海外で働いてみたい」と思っていたので、大学で英語の授業を多く選択する一方、英字新聞を読むなどコツコツと勉強していた。インプットは自分の努力次第で何とでもなるのだが、アウトトップの機会が限られている。そうしたところ、学生課の掲示板で見つけたのがJTBの添乗員アルバイト募集。英語力が必要な割には普通のアルバイト料だったが、良い経験になると思い応募した。

英語での面接を通り、仕事内容の説明がある。担当するのは、JTB伝統の外国人用サンライズツアー。「日出処」でサンライズなのだと思うが、ツアー自身も朝が早い。毎朝夜明け前に起きて、バスがスタートするホテルに向かう。6:30頃から都内各ホテルを回ってツアー客を集める。自分の担当ホテルを3-4カ所廻った後、7:30頃東京プリンスホテルに集合。ここの広い駐車場で、ツアーの行き先毎にバスに乗せ換える。

ここから、自分がその日担当するツアーの添乗が始まる。私が好んで担当したのは当時開催中の「つくば万博」。万博会場まで送り届け、入場券を渡して、夕方バスに乗せて、都内のホテルまで送り届ける。料金を取って案内できるのは法律で通訳案内士に限られていたので、バイトができるのはあくまで添乗員。日中は自由だったので、行きのバスの中で仲良くなれそうな客を見つけて、会場内の案内を買って出て仲よくなった。一日中英語を話す環境は初めてのことで、インプットとアウトプットのバランスが取れた英語力はぐんと伸びた。

そのJTBが設立されたのが明治45年。鉄道開業の明治5年(1872)以来現在まで、「この時代(ビューロー創設からの数年間)ほど鉄道に携わる人たちが訪日旅行者誘致の中心的役割を担い熱心に活動したことはない」と著者はいう。それほど、鉄道関係者が中心になってつくられたJTBは、ロシアとの連携で欧州からの旅行客をシベリア鉄道経由で日本に送り込むなど成果を上げた。

それも、その後すぐに第一次世界大戦が勃発し、さらにロシア革命でふいになるのだが。JTBは生き残り、昭和20年、財団法人日本交通公社に、さらに昭和38年に営利部門が民営化して(株)日本交通公社(現JTB)となる。財団法人日本交通公社は今でも旅行関係の調査研究を続けている。

115:明治45年Japan Tourist Bureau設立
鉄道開業の明治5年(1872)から同書出版までの80年間、さらにその後現在までの60年を含めて振り返っても、この時代(ビューロー創設からの数年間)ほど鉄道に携わる人たちが訪日旅行者誘致の中心的役割を担い熱心に活動したことはない。

130:後藤新平の大風呂敷で作った『公認東亜案内』
予算20万円。現在価値で約20億円。5巻あるので1巻4億円。現在書店に並んでいる500p程度の「中国」の旅行ガイドブックを5万部作るコストの10倍程度。

138:日本人が、見せたくないと思った遊郭「吉原」
『テリーの日本帝国案内』では、7ページにわたって江戸時代からの遊郭の歴史、建物のスタイル、遊女の日々の行い、昼と夜の様子を詳述。『公認東亜案内』にはまったく記載なし。地図にもその名がない。



shikoku88 at 19:42コメント(0) |  | 旅行 

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