2018年12月30日
国策捜査
「国策捜査」という言葉が一般的になったのは、この本がきっかけであったらしい。それまでも「国策捜査」はあったわけだが、それをテーマに本を書いた人はいなかった。
きっかけは、当時、「総理官邸主導で進められていた2000年までに日露平和条約を締結するという国策」であった。ここで中心になって活躍したのが、北海道選出の鈴木宗男国会議員。そして彼にロシアの専門家として重宝されたのが外務省のロシア分析官だった佐藤優(ノンキャリア)。二人は抜群のネットワークと行動力で成果を上げていくが、これを快く思わなかったのが外務省のキャリア官僚。
国後島でのディーゼル発電所建設は外務省公認での倉井ロシア支援室長の「仕込み」であったにも関わらず、「検察は鈴木氏の圧力で本来不必要なディーゼル発電機を国後島に供与したとの筋書きを作ろうとし、のみならず、一部外務省職員がその筋書きに沿った証言をする」(p228)。
結果、2002年5月14日に佐藤は背任容疑で逮捕され、さらに、7月3日偽計業務妨害容疑で再逮捕される。勾留は512日間にも及ぶことになるが、これは途中で保釈の機会があったものを、佐藤自身が勾留延長を申し出たからだ。
第4章 「国策捜査」開始274:接見等禁止措置証拠隠滅の可能性がある被疑者・被告人に関しては、弁護人以外との面会、手紙、文章(新聞・雑誌・書籍を含む)のやりとりを禁止する措置である。結局、私は512日間の全勾留期間中、接禁措置が解除されなかった。276:情報屋の基礎体力~まずは記憶力私の場合、記憶は映像方式で、なにかきっかけになる映像が出てくると、そこの登場人物が話し出す。書籍にしても頁がそのまま浮き出てくる。しかし、きっかけがないと記憶がでてこない。294:検察は基本的に世論の目線で動く小泉政権誕生後の世論はワイドショーと週刊誌で動くので、このレベルの「正義」を実現することが検察にとっては死活的に重要になる。313:守られなかった情報源外務省が「門外不出にする」といった書類が検察に渡されたことは、私にとって大きなショックだった。因みに後に外務省は東郷氏の報償費に関する領収書も検察に提出したが、私の場合と異なり、それらにおいては情報源の部分に黒塗りがなされていた。とにかく、これで外務省が私のみでなく、私の情報源も守らないことが明らかになった。334:自ら申し出た「勾留延長」外に出てもマスコミに追われるだけだ。さらに、外国人の友人たちに状況を説明しなくてはならないが、その中には気の短い連中もいるので、すぐには会いたくなかった。また、獄中では、難解な神学書・哲学書の理解が外界では考えられないほど深くなる。戦前、無政府主義者の大杉栄が「一犯罪、一語学」といって獄中で各国語を次々とマスターしていったが、神学部を離れてから疎遠になっていた古典ラテン語、古典ギリシャ語の復習もしたかった。345:鈴木宗男氏の逮捕今回の国策捜査が鈴木宗男氏をターゲットとしていたことは疑いの余地がない。私はその露払いとして逮捕されたのである。同時に検察は私を逮捕すれば、外務省と鈴木宗男氏を直接絡める犯罪を見つけ出すことができるとの強い期待を抱いていた。しかし、残念ながらその期待は適わなかった。348:内藤国夫『悶死 ― 中川一郎怪死事件』(草思社1985)「鈴木さんのパーソナリティーがよくでているね。要するに気配りをよくし、人の先回りをしていろいろ行動する。そして、鈴木さんなしに物事が動かなくなっちゃうんだな。それを周囲で嫉妬する人がでてくる。しかし、鈴木さんは自分自身に嫉妬心が希薄なので、他人の妬み、やっかみがわからない。(中略)中川夫人の鈴木氏に対する感情と田中眞紀子の感情は瓜二つだ。本妻の妾に対する憎しみのような感情だ。嫉妬心に鈍感だということをキーワードにすれば鈴木宗男の行動様式がよくわかる」(西村検事)

