2018年12月12日
南海泡沫事件
世界史で習った「南海泡沫事件」。バブル経済の「バブル」は、この事件から来ている。
事の発端はスペイン継承戦争。戦費支出で財政難に陥った英国は、南海会社に南米との貿易独占権を与える代わりに、国債3100万ポンドを引き受けさせる。国債の4%の利払いは政府が行い、さらに当座資金として同社に現金100万ポンドを渡した。貿易の利益で国債を返済していくはずだったが、貿易ではとてもそんな利益は出なかった。
そこで、社長のジョー・ブラントが考えたのが、南海株を時価発行して、それを国債と引き換えること。額面なら株式£100=国債£100だが、株価が£200であれば、国債£200を買い取れる。ブラントは根拠のない儲け話で株価を煽り、また、国王やその愛人、政府の要人にストックオプションを配って味方につけることも忘れなかった。
その結果、南海株は半年で10倍になる。それをまねた実体のないペーパーカンパニーが乱立し、株式売り出しを繰り返すようになる。1720年の1年間で190社が設立され、そのうち生き残ったのは4社だけだったという。この泡のように乱立し、消えていったのが「バブル」。
同時期にフランスではミシシッピ会社への投機が起き、1721年に倒産した。この時、フランス政府はなす術がなかったという。「金融知識を備えた官僚がおらず、自前の銀行もないフランスは、途方もない高利でスイスから借り続けるほかなかった。(中略)財政が再建されず、近代的な税制が整備されないまま、フランスは18世紀の大半を半ば破産状態で過ごすことになる。産業のイノベーションは生まれず、成長は長きにわたって停滞した」
「だがイギリスは、南海泡沫事件から立ち直った。それができたのは、当時他の国が持ち合わせていないものがイギリスにはあったからである。それは、オランダ以上に会計が発展していたこと、そして会計を重視する文化が政治にも浸透していたことである。こうした文化があったからこそ、政権に復帰したウォルポールは南海会社を救済し、イギリスの信用市場を立て直すプランを設計できたのだった」
第7章 英国首相ウォルポールの裏金工作200:巨額の債務を帳消しにした「南海計画」南海会社はイングランド銀行と競争の末に、国債3100万ポンドを引き受けることに成功する。国債の4%の利払いは政府が行い、さらに当座資金として同社に現金100万ポンドを渡した。順調に株が売れたら、特権の対価として750万ポンドを政府い支払うという約束である。政府の側から見れば、貿易独占権と引き換えに民間投資家を利用して巨額の債務を帳消しにできるという、まことにうまい話である。202:南海バブル崩壊フランスで1721年にミシシッピ会社が倒産したとき、フランス政府はなす術がなかった。会社を救済する手段も資金もなかったし、危機を食い止めることもできなかった。ジョン・ローを金融の魔術師と信じ込み、財務総監にまで任命し、愚かにも王立銀行と造幣局の設立さえ認めていたのである。ミシシッピ会社が破綻すると、金融知識を備えた官僚がおらず、自前の銀行もないフランスは、途方もない高利でスイスから借り続けるほかなかった。(中略)財政が再建されず、近代的な税制が整備されないまま、フランスは18世紀の大半を半ば破産状態で過ごすことになる。産業のイノベーションは生まれず、成長は長きにわたって停滞した。205:金融に詳しい下院議員のアーチバルド・ハッチソンが南海会社の適正株価を試算(1720)ハッチソンの計算はひどく複雑で、政府への返済額、会社の利益、新株発行に伴う収入、保有資産の価値、予想利益等々を考慮し、金利で割り引いている。計算の詳細はともかく、結論は明快だった。発行時の三倍にも跳ね上がった株価を裏付けるには、年間530万ポンドの利益を上げなければならない。これは、イギリスの軍事予算の10倍に相当する金額である。
