2018年12月06日
歴史の裏には全て、帳簿を駆使する会計士がいた!
2015年に翻訳された名著が文庫本で今年出た。「歴史の裏には全て、帳簿を駆使する会計士がいた!」というのが誇張でもなんでもないことが読めばわかる。資本主義を支えたのは、銀行(決済&信用創造)、株式会社(共同出資)、複式簿記(損益の把握)だと思うが(定説
)、実際は、複式簿記誕生以前にもきちんと帳簿を付けた国や団体は栄え、それができなかったところは衰退していった。興味深いのは、複式簿記が誕生して栄えたイタリアの都市国家自体が、16世紀になると複式簿記を捨てていったことだ。君主にとって会計の透明性は危険だったのである。
「帳簿を公開することは、財務会計の責任を引き受けることである。この同じ年に、王家の収支と国王の危機的財政が財務長官ネッケルの手によって始めて白日の下にさらされたとき、ルイ16世の神秘性ははぎ取られた」
中世イタリアでは、複式簿記による帳簿は健全な事業や政府の実態を表すと同時に、神の審判や罪の合計を表す宗教的な一面も備えていたという。ここから、本書の原題、THE RECKONING(計算、見積もりと同時に、報い、罰の意も)は来ている。
序章 ルイ16世はなぜ断頭台へ送られたのか11:ルイ14世の財務総監ジャン=バティスト・コルベールコルベールは、上着のポケットに入れて持ち運べるよう、金色に印字された小型の帳簿を作っていたのである。この習慣は1661年に始まっており、ルイ14世は年に2回、自分の収入、支出、資産が記入された新しい帳簿を受け取った。あれほどの絶対的地位にいる君主が王国の会計に興味を示したのは、初めてのことである。金のかかる戦争やヴェルサイユを始めとする宮殿建設で赤字続きだったルイ14世は、コルベールが1683年に死去すると、会計報告の習慣を打ち切ってしまう。国王からすれば、帳簿は国家運営の道具ではなく、統治者としての自分の失敗をあからさまに示す不快な代物になっていたのだろう。せっかく会計と責任のシステムを発足させたルイ14世だが、ついに会計の中央管理をやめてしまった。1715年、太陽王は死の床で、自分はフランスを破綻させたと告白した。15:国家の繁栄は会計によって決まる会計は事業や国家や帝国の礎となるものだ。会計は、企業の経営者や一国の指導者が現状を把握し、対策を立てるのに役立つ。その一方で、会計がきちんとしていなければ、破綻に拍車をかけることになる。2008年のグローバル金融危機はその端的な例と言えよう。ルネサンス期のイタリア、スペイン帝国、ルイ14世のフランスからネーデルランド連邦共和国、大英帝国、独立初期のアメリカにいたるまで、一国の浮沈のカギを握るのは政治の責任と誠実な会計だった。16:ジェノヴァ、ヴェネツィア、フィレンツェを始め、商業を基盤とする共和国では、すくなくとも支配階級はしかるべき財政の責任を果たすべきものと考えられていた。これこそ、理想的な近代統治、すなわち規律と責任のある合理的な統治の始まりと言えよう。これらの共和国はたしかに栄えたけれども、会計責任の維持がむずかしいことも立証することになった。16世紀になると、イタリアの共和国全体の衰退と絶対君主制の台頭が相俟って、会計への関心は薄れていく。商人たちは複式簿記に慣れて熟達していったが、政治の場からは会計は姿を消していった。例外は、君主制の潮流に逆らって共和制を維持し続けたスイスとオランダだけである。21:見落とされてきた複式簿記の重要性会計が単に商取引の一部ではなく、倫理的・文化的枠組みに溶け込んでいるときは、会計責任はよりよく果たされる。中世から20世紀前半にいたるまで、公正な会計を実行し報告する責任と信用の伝統を築くことのできた社会では、例外なく複式簿記が文化に根付いていた。フィレンツェやジェノヴァを始めとするイタリアの共和制国家しかり、黄金時代のオランダ、18-19世紀のイギリス、アメリカしかり。これらの国はどこも、会計が教育にも、宗教・倫理、芸術、哲学にも、政治運営にも取り込まれていた。
