2018年07月26日

絶望力:タモリ

タモリ論 (新潮新書)
樋口 毅宏
新潮社
2013-07-13


成毛氏は、「近年の『テレビを観ていない』という主張が散見される状況に疑問を感じ、やたらとテレビを観るようになった」という。なんだ、やはり、現役?の時はあまり見てなかったのだ。「皆が見なくなっているなら、俺が見てやろう」というあたり、さすが「逆張り派」である。

それはさておき、成毛氏のお気に入り番組の一つがNHK「ブラタモリ」である点は、私と共通している。私の場合、「笑っていいとも!」も「タモリ倶楽部」も見ていなかったから、タモリ番組を継続して見るのはこれが初めて。なぜ、タモリがこれほど長年にわたって人気を保てているのか不思議に思っている人は私だけではないようで、本書以外にも何冊か本が出ているようだ。

本書の分析では、タモリは「悲しみをまといながら笑いを提供する孤高の人」ということになる。タモリは私生活を切り売りしないし、パーソナリティすら前面に出してこない。「究極の諦念」が人々を飽きさせないのか。

MM


















115:タモリはあれだけテレビで身をさらしながら、ほとんど見の切り売りはしてこなかった
視聴者はタモリがどんな人だか、分からない。TVというメディアは、人間のパーソナルを赤裸々に暴く特徴があるが、タモリはその範疇に入ってこない。

117:「あの人は可哀想な人だぞ。恐ろしく孤独な人だ」
本書に出てくる、タモリと仕事をしたというカメラマン

118:「古川ロッパと自分は似ている」(タモリ)
古川ロッパは戦前・戦後に活躍した芸人だが、絶望をつづり続けた救いのない日記があまりにも有名。タモリが指摘するロッパとの共通点は、自分にも他人にも期待しない「究極の諦念」。

119:タモリは決して専門家にならない
彼ほどのキャリアを持つ著名人であれば、コメンテーターといった役割を求められることが多い。事実、北野武や松本人志など、こういった求めに喜んで応じている。だが、タモリはコメンテーターなどやらない。何か一廉の人物と思われたいというようなところがない。


shikoku88 at 19:30│Comments(0) | 仕事

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