2018年06月27日

世界初のバイオベンチャー

遺伝子‐親密なる人類史‐ 上
シッダールタ ムカジー
早川書房
2018-02-06


世界初のバイオベンチャーと言われるのが、1976年に設立されたジェネンテック社。UCSFの研究者であったハーブ・ボイヤーを28歳のベンチャー投資家ロバート・スワンソンが説得して設立した。最初の製品が合成インスリン。

「インスリン合成はそれまで何度も試みられてきたものの、いまだにウシとブタの内臓をすりつぶしたものからつくられていた。450gのインスリンを得るのに3600kgもの膵臓を必要とする」(p344)

同時期にハーバード大学のDNA化学者ウォルター・ギルバートも遺伝子クローニング技術を用いたインスリン合成に乗り出していて、世界中の研究所が遺伝子操作技術を使って開発競争の様相を呈していた。

ジェネンテックを救ったのが政府「規制」だったというのが面白い。開発者のボイヤーはそれを「科学の発展を妨げるもの」として声高にけなしていたが、競争していたハーバード大学のギルバート研究室はじめほとんどのところが、天然のヒト遺伝子をクローニングすることについてアシロマの規制に縛られていた。ジェネンテックでは科学的に合成したインスリン遺伝子を使っていたので、規制対象のグレーゾーンだった。さらに、政府の補助金が入っている大学の研究室と違って、民間企業であるジェネンテックはガイドラインに縛られる必要がなかったのだ。

それにしても、創業にあたり、大手VCであるクライナー・パーキンスが投資したのがたったの10万ドルというのが隔世の感あり。それも、50万ドルの要請をしたのを1/5に値切っているのだ今なら、10億円単位でしか出さないクライナー・パーキンス(その後合併して現在KPCB)がたったの10万ドル

規制を守らなければならない立場のハーバード大学のギルバートは、「エアロック控室を通り抜け、ホルムアルデヒドに靴を浸して洗浄してから狭い部屋に入り、そこで実験しなければならなかった。一方のジェネンテック社では、DNAを合成して最近に挿入していただけだった。NIHのガイドラインを遵守する必要すらなかった」。おまけに、ハーバード大学はDNA合成に反対する市民のデモに取り囲まれていた。

ジェネンテック社は1990年にスイスの製薬企業ロシュ傘下となり、2009年に468億ドル(5兆円)で完全子会社化された。ボイヤーとスワンソンのその後が気になる。

230:核酸の分子構造
「あまりに美しく、真実でないわけがなかった」ワトソン

271:1950年代、CALTECのショウジョウバエ遺伝子学者のエドワード・ルイスは、ショウジョウバエの廃発生を再現する実験を始めた。ルイスはまるでたったひとつの建築物にしか興味がない建築史家のように、20年近くもショウジョウバエの発生を研究し続けてきた。

344:3時間が過ぎ、ビールを三杯飲みおえたころ、ふたりはついに暫定的な合意に達し、会社を設立するための法定費用をそれぞれが$500ずつ負担することになった。スワンソンは6pにわたる計画書を書き、かつての雇い主であるVC、クライナー・パーキンスに50万ドルの出資を依頼した。クライナー・パーキンスは依頼書にざっと目を通したあと、出資額を1/5の10万ドルまで減らした。
350:ジェネンテックのインスリン合成
皮肉なことに、彼らを救ってくれたのはアシロマ会議だった。ボイヤーが声高にけなしていた、まさにその会議だ。連邦政府から資金を提供されているほとんどの大学と同じく、ハーバード大学のギルバートの研究室も、組み換えDNAについてのアシロマの規制に縛られており、「天然の」ヒトの遺伝子を単離し、それを大腸菌の細胞でクローニングしようとしているギルバートのチームにはとりわけ厳しい監視の目が向けられていた。一方のリウスと板倉はソマトスタチンの例にならって、科学的に合成したインスリン遺伝子を使うことに決め、ヌウレオチドをひとつずつつないでゼロから遺伝子を組み立てていくことにした。合成遺伝子、つまり、むき出しの化学物質として組み立てられたDNAはアシロマの規制対象のグレーゾーンに位置しており、うまくいけば規制を受けない可能性があった。さらに、民間資本の会社であるジェネンテック社も、連邦のガイドラインの適応対象外である可能性が高かった。そうした事実が組み合わさって、ジェネンテック社は決定的に有利な立場に立った。


shikoku88 at 18:30コメント(0) |  | 経済 

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
Archives
Recent Comments