2018年05月23日

第2部 食料生産にまつわる謎




ある人間集団による他の人間集団の征服を可能にする直接の要因が、「銃、馬、病気など」であることは第1部で見た通り。では、どうして、ある地域ではこれらを持つようになり、他の地域では持たなかったのか?

その結論が、「大陸の陸塊がどちらの方向に伸びているか」という、スケールは大きいものの、単純な答えであることに驚く。この究極の要因からいくつかの因果関係を経由して、ある人間集団による他の人間集団の征服を可能にする直接の要因が発生したのだ。


生産年齢人口

154:食用にすることのできる数少ない動植物を選んで育てれば、それらが1エーカーあたり0.1%ではなく90%を占めるようになり、結果的に1エーカーあたりの産出カロリーを高めることができる。したがって農耕民は、土地を耕し家畜を育てることによって、1エーカーあたり、狩猟採集民のほぼ10倍から100倍の人口を養うことができる。この数字は、食料を自分で生産できる人々は、当初から狩猟採集民よりも人数面において軍事的に優位であったことを示している。

178:一歩の差が大きな差へ
食料生産を独自に始めた地域は世界にほんの数か所しかない。それらの地域においても、同じ時代に食料生産がはじまったわけではない。食料生産は、それを独自に開始した地域を中核として、そこから近隣の狩猟採集民のあいだに広まっていった。その過程で、中核となる地域からやってきた農耕民に近隣の狩猟採集民が侵略され、一掃されてしまうこともあった。

185:農耕を始めた人と始めなかった人
紀元前8500年頃には、メソポタミアの肥沃三日月地帯で食料生産がはじまっていたが、気候的にも地形的にも似ているヨーロッパ西部では、その3000年後の紀元前5500年頃になるまではじまっていない。

186:すべての食料生産者が狩猟採集民より快適な生活を送っているわけではない。今日、狩猟採集民より快適な生活を送っている食料生産者は、裕福な先進国にしか存在しない。(中略)しかし、世界の食料生産者の大部分は、貧しい農民や牧畜民によって占められているのだ。

187:多くの地域において最初の農耕民になった人々は、狩猟採集民より体のサイズが小さかった。栄養状態もよくなかった。ひどい病気にもかかりやすく、平均寿命も短かった。

244:肥沃三日月地帯での食料生産
メソポタミア文明の出発点は、農耕と家畜の飼育にさかのぼる。この文明は、食料生産の実践が人口の稠密な人間集団の形成を可能にし、余剰食料の貯蔵・蓄積によって非生産者階級の専門職を社会的に養うゆとりができた結果として誕生した。

341:東西方向への伝播はなぜ速かったか
肥沃三日月地帯の作物は、どうしてそんなに速い速度で伝播していったのだろうか。(中略)ユーラシア大陸が東西の方向に横長であることが影響している。東西方向に経度が異なっても緯度を同じくするような場所では、日の長さの変化や、季節の移り変わりのタイミングに大差がない。

354:大陸が東西に広がっていること、あるいは南北に広がっていることは、農業の伝播のみならず、技術や発明の広がっていく速度にも影響をおよぼした。たとえば、紀元前3000年頃に西南アジア付近で発明された車輪は、またたくまに東西方向に広がり、数世紀もたたないうちにユーラシア大陸の大半の地域で見られるようになった。ところが、先史時代のメキシコで独自に発明された車輪は、南米のアンデス地方にまで南下していない。紀元前1500年までに肥沃三日月地帯の西部で使われるようになったアルファベット文字は、1000年もたたないうちに、西はアフリカ大陸北岸のカルタゴまで、東はインド亜大陸まで伝わっているが、先史時代の中米で少なくとも2000年にわたって栄えた表記法がアンデスにまで伝わることはなかった。


shikoku88 at 19:30│Comments(0) | 食べ物

コメントする

名前
 
  絵文字