2018年06月09日
かつてストリップというものがあった
福岡の進学校(宗像高校)を卒業後、福岡相互銀行(現・西日本シティ銀行)に勤めていたが、s50にストリッパーとして活躍していた姉(桐かおる)に誘われ、その日のうちに辞表を出して劇場に飛び込んだ。以降、彼は帝王としてストリップ業界を差配するまでに上り詰める。
最盛期には、月収は1億8千万円あったというが、ほとんどギャンブルに使ってしまって、引退した現在は九州に戻って年金生活。所得もあまり申告していなかったと思われ、そのため年金も多くはないだろう。このままだと生活保護受給確実。
日本が貧しくても希望にあふれていた頃、独特な性風俗としてストリップも隆盛を迎えた。その時代に業界のど真ん中で生きた破天荒な人生。正史には刻まれることのない貴重な記録であると共に、こうしたことで、社会保障費が増えていくんだろうな、という暗澹たる感想も持った。
44:当時、絶大な人気を誇った一条さゆりと人気を二分するほどの有名な踊り子で、桐のストリップは、当時誰もやっていなかったレズビアンショーだった。彼女の相方は春日トミ。桐は劇場のステージだけでなく、私生活においても同性愛者だった。彼女のレズビアンショーは、演技ではなく、生き様そのものであった。75:本番まな板ショーは諸説あるが、滝口によれば1974年頃にはじまり、最初に演じたのは大島椿という日本人の踊り子だった。すぐに人気を呼ぶようになり、全国の劇場に取り入れられていった。1975年5月には埼玉県大宮のストリップ劇場でショーを目の当たりにした男性がショック死したり、ステージ上で腹上死したりするものが出るなど、ストリップの過激化に歯止めが掛からなくなっていた。

