2018年05月05日
成長資金の獲得
この本の特徴のひとつは、およそ半分が資金繰りのことであること。1962年のブルーリボン(後のNIKE)創業後、数字にこだわって限界まで成長を追求したナイトは常に運転資金に悩まされることになる。オニツカからの輸入販売で、輸入代金と社員の給与は毎月支払う必要があり、一方、在庫して販売するために数か月は掛かるため、売掛金の回収は先になる。売上は創業以来毎年倍々で伸びていたので、常に資金不足に陥っていた。
ブルーリボン設立時の資本金は$1000。ナイトが51%、オレゴン大学陸上部コーチのバウワーマンが49%を出している。現在価値なら、100万円くらいだろう。当然すぐ足らなくなり、次に出資と貸付をしたのが社員第二号で、事故で車いす生活になっていたやはり元陸上選手のウッデルと彼の母親。
この間、銀行融資で運転資金を賄うのだが、このためにナイトは個人保証のうえ自宅を担保に入れている。個人保証と担保差し入れは何も邦銀の専売特許ではない。しかし、業容拡大で、融資額も増加し、直ぐに与信限度を超えるようになる。銀行は成長スピードを抑えるように指示するが、ナイトは聞く耳を持たない。銀行との対立は次第に深刻化する。
創業して10年経ち、1970年代になるとシリコンバレーでVCが勃興する。ナイトは彼らに投資してもらおうと、ブルーリボンの持ち株会社を作り「スポーツ・テク」と名付ける。「ハイテク好きの投資家を惹きつけるため」だった。だが、どこも投資しなかった。輸入靴を売るだけの会社に興味を持たなかったのだ。
最終的に成長資金を提供したのが、日商岩井。日商岩井のポートランド支店が、NIKE取扱高の4%マージンを取ることで「商社金融」と呼ばれる仕入先への支払と、売上代金の回収との資金サイトの差を負担したのだ。
そうやってなんとか資金繰りをつないでいたのだが、ついに、言うことを聞かないナイトにBank of Californiaが切れ、取引を停止する。その時、日商岩井ポートランド支店経理部の"Iceman"こと伊藤が社内ルールを破って、約$2M、現在価値なら10億円相当の銀行借入を全額肩代わりするのだ

Iceman伊藤の話は本書ではそれだけで終わっているが、この話を追ったBS1スペシャル「ナイキを育てた男たち」によれば、Iceman伊藤はその後、社内ルールを破ったということで退職勧告される。失意の中ポートランドを引き上げる引っ越し準備をしていたところ、本社の経理担当役員から連絡が入る。
「よくやった」
伊藤氏は、「正に離陸しようとしているナイキをこれで終わらせていいのか。なんとか助けたい」という思いだったという。最終的には、この思いが認められ、伊藤氏は日商岩井(現在の双日)での仕事を定年退職まで全うした。

168:私は週に6日はPWに勤務し、早朝、夜中、週末、休日をブルーリボンに充てていた。友人もいなければ、運動もできないし、まともな社会生活も送れなかったが、別にそれで構わない。確かに生活のバランスを崩していたが、気にはならなかったし、それどころか、もっとバランスを崩したいくらいだった。203:結婚生活私は物思いにふけるあまり、雑貨店に車で買い物に行っても手ぶらで帰ってきて、彼女に頼まれたものさえ忘れていたりする。間近に生じた銀行との危機やオニツカからの搬送の遅延などが常に頭に浮かんでは消えるのだ。226:株式公開1970年当時、VCの会社が急成長しつつあった。VCというコンセプトが姿を現しつつあったが、その堅実な投資先はまだ限られていた。(中略)ウッデルと私は株式公開を宣伝する広告を打ち、大きな反応が出るのを待った。(中略)ほぼ誰からも反応がない。私たちは1株1ドルで何とか300株を売った。買ったのはウッデルと彼の母親だ。結局、私たちは株の公開を取り下げた。

