2017年12月16日

ニコン神話の始まり



日本光学は戦後経営難であえいでいた。1917年に設立されたニコンは敗戦まで、日本最大の光学機器メーカーとして、おもに日本陸海軍の高射砲射撃指揮装置や水防測距儀、潜水艦の潜望鏡、航空機や戦車の照準器、双眼鏡などの軍需品を製造していたが、それらの需要が一夜にしてなくなったのだ。敗戦後は多数の工場を閉鎖し、大幅な人員整理をおこなって軍需から民需への転換をはかっていた。

そのニコンが世界に出るきっかけを作ったのが三木淳。当時、一世を風靡したフォトジャーナリズム誌LIFE唯一の日本人カメラマンである。来日したLIFE本社のカメラマンにニコンを紹介し、そのレンズ性能に驚いた著名戦争写真家David DuncanはNikkorを持って朝鮮戦争の取材に出かけていく。写真を受け取ったNY本社は、大判写真並みにシャープな画像にまたまた驚いて、社内に研究班を創って徹底調査する。その結果、世界850万部を誇った世界最大のニュース写真誌のカメラは全部Nikonになった。ニコン神話の始まりである。

同時期(1950)に、NY TimesでもNikkorレンズの驚異的な性能が記事になり、これ以降、Nikonはじめ日本製のレンズとカメラが世界を席巻していく。それまで、日本人の写真家はドイツ製レンズを崇拝していて国産品は見向きもされなかったのに、海外でNikonが大人気になると、日本でも売れ始めたというのが「いかにも」で情けない。

89:"Wonderful! Wonderful Japanese lenses! Wonderful Nikkor lenses!" David Douglas Duncan
ダンカンと淳、ニコンの長岡(社長)らとの出会いは、その後、世界の写真カメラ業界に巻き起こる大革命の、最初の小さな一歩。

92:「ジュン、おれはこのニッコールレンズをもって戦場に行く」ダンカン
ニコン大井町工場でみずからチェックし、購入していたニッコール50mmF1.5の標準レンズと135mmF4の望遠レンズを二台のライカに装着し、20本ほどのフィルムを無造作にポケットにしまい込み、米空軍立川基地から韓国に飛び立った。

95:「戦禍の跡に奇跡が生まれた。敗戦国日本で、世界で最もシャープなレンズが生産されている」NY Times 1950
・この衝撃的な記事によって、世界はおろか日本の写真家からさえ見向きもされていなかったニッコールレンズが、一躍世界に躍り出ることになった。ドイツ製のレンズ以外はレンズにあらずと信じられていた時代にである。
・その後、NY本社は、ライフの写真家であり写真研究室長でもあるフランク・シャーシェルをチーフとする特別研究班をつくってニコン製品を独自に検査し、類まれなその優秀性を認め、ニコンのカメラを購入、その総数は150台を超えた。

105:「ライカはシャッターが凍結して作動しなかったけど、Nikon Sは動いたよ。Terrific!」朝鮮戦争取材から立川に戻ったDavid Duncan






shikoku88 at 18:21│Comments(0) | 仕事

コメントする

名前
 
  絵文字