2017年12月12日
ホンダジェットとMRJ
MRJの開発難航と比べられることの多いホンダジェットの成功。しかし、本書を読めば、もちろん簡単に言ったわけではないことが分かる。そもそも、ホンダジェットの母体となる基礎技術研究センターが本田技術研究所内に秘密裡に設立されたのは1986年だから、2015年にホンダジェットがFAAの型式証明を取得する30年も前だ。MRJの開発開始は2008年といわれているから、まだ10年しか経っていない。
それでも、三菱航空機で取られているであろう開発手法との対比で際立っている点がある。
・少人数体制
・アメリカでの開発
ホンダジェットの開発プロジェクトは5人のチームで発足している。1995年に「主翼上面エンジン配置」というアイデアが出て、それを実験して証明し、特許を取得したうえで論文を書いたのが1999年だ。それまではこの少人数のチームでさえ、幾度か解散の危機を経験している。世界を驚かせたホンダの自律型二本足歩行ロボットASIMOの開発も4人でスタートしたという。革新的な開発はたくさん人がいるからできるものではなく、開発の方向性がはっきりするまではむしろ少人数で行うほうがよさそうだ。少人数で行えば必ずできるとも限らないが、少なくともその間の費用は抑えられる。
そして、こちらのほうがより重要だろうが、ホンダは当初からアメリカを開発の本拠地にした。航空機産業を牛耳り、事実上、世界基準となっているのがアメリカだからだ。最初はミシシッピ州立大学へ100万ドルを寄付して研究員として受け入れてもらっている。2006年に商品化を目指してHonda Aircraft Companyを設立したのは、FAAのあるワシントンへの近さと、ビジネスジェット市場の大半を占める欧米両方へのアクセスからNorth Carolinaを選んだ。同社の従業員は1700人というが、大半はアメリカ人の業界経験者で、開発方針が決まった後、それを実現し、型式証明を取得するのに中心的役割を果たしたことは想像に難くない。
一方、三菱航空機は「国産」に拘った。そのためだろう、開発が遅れ、今年になってから米国内で大量のベテラン技術者を採用する一方、国内従業員を2割削減すると発表している。ホンダと違って、三菱重工はこれまでボーイングやエアバスの主要部品も作ってきたので、「自分たちは分かっている」という驕りがあったのかもしれない。
経験がないのはそれを審査する側の国土交通省航空局も同じで、審査のノウハウがないから、審査に時間がかかったことも開発遅延の一因といわれている。そのため、現在MRJ試作機はアメリカに渡り、向こうで飛行試験を行っている。
一言でいえば、ホンダはチャレンジャーであることを自覚して挑戦しているが、三菱航空機にはそうした意識が希薄だったのではないか。よい挑戦者は大胆な目標と現実的なアプローチを使い分けるものだ。
5:ホンダは大胆にもゼロから航空機を設計し、型式証明を取得することに挑んだ。これは前例のない挑戦だった。新規参入メーカーがゼロから設計して型式証明を取るなど、不可能に思われた。ところが現在、ホンダエアクラフトカンパニー全体で約1700人の従業員がこの事業に携わっている。9:当時日本は、国をあげて自律型二本足歩行ロボットの開発に取り組んでいた。通商産業省工業技術院の機械技術研究所、電子技術総合研究所をはじめ、旧帝大や有名私立大学の研究室に、何年間にもわたって総額数兆円ともいわれる莫大な予算がつけられていた。しかし、いずれも研究成果は芳しくなく、二足歩行ロボットは、20世紀中には完成しないといわれていた。ところが、そこへ突然、ホンダの「P2」が登場したのだからたまらない。ホンダジェットと同じで、快挙を成し遂げたのは、わずか4人からスタートしたロボットのシロウトチームである。(中略)研究所や研究室に割り振られていた国家予算は、何だったのか。国の研究機関のあり方そのものが問われた。86:大塚は、ホンダの入社試験を受ける。面接官の一人に、当時本社専務で2代目社長になる河島喜好がいた。「ホンダのデザインは、最低だ。センスがない。俺が入って、いいデザインにしてやろうと思っているんです」ワハハッと、河島は大きな声で笑った。88:70年代前半のことである。川本は、「ホンダがF1レースをやらないなら、会社を辞める。ウンというまで会社に出ていかない」と久米是志に宣言して、職場放棄した。103:ひとたび構想がまとまって描き始めると、早かった。かなり複雑な図面で、普通の人なら2か月かかるところを、文字通り不眠不休で1週間ほどで仕上げた。神がかり的だった。その集中力のすごさは、久米の右に出る者はいないといわれた。221:1995年、機体開発チームのミシシッピ第2期メンバーの帰国に先立って、傷心を抱えた藤野は帰国の途についた(中略)。引っ越しの際、ふと目にとどまった1冊の本を開いた。「空気の流れを、複素関数で表す数式でした。二つの流れを組み合わせて、物体の周りの流れを表現する方法が示されていました」(中略)そのとき、彼の頭に主翼上にエンジンを配置するアイデアが浮かんだのだ。世紀の発見である。226:ある特定のごく狭い最適な場所にエンジンを配置すれば、主翼上面エンジン配置形態の航空機の抵抗は増すどころか、従来の主翼下にエンジンを配置する設計の場合よりも、小さくなることがわかった。スイートスポットの発見である。世界の航空機業界にとって、常識を覆す大発見だった。236:このようにさまざまな検討を経て設計された翼は、翼厚比が15%と、従来の10-13%に比べて非常に厚い翼となった。翼型が厚いということに、空力的なデメリットがなければ、大きなメリットが得られる。第一に、翼構造の軽量化が可能になる。第二に、翼が厚いので主翼内に燃料がたくさん積めることに加え、燃料搭載のために翼を大きくするという設計の矛盾が生じない。第三に、翼の上面と下面の層流長を変えることによって、最大揚力は大きく、抵抗が小さい翼を実現した。330:エンジンHF-120「GEとホンダの双方でファンローターを設計し、性能を測っていいほうを採用しようとなり、結果、ホンダが勝ちました。しかし、詳細に見ると、外側の流れの部分はホンダがいいが、内側の流れはGEのほうがいいなど、部分的にはGEのほうが優れている点があった。それを取り入れて、もう一度設計しなおした」

