2017年11月27日
盛岡市先人記念館

盛岡で最終日に寄ったのが「盛岡市先人記念館」という変わったところ。「もりおか歴史文化館」にはもちろん、初日に寄った。それ以外に、「先人記念館」があるというのは珍しい。
それで気になる、盛岡の先人は誰かというと、「個室」が与えられた3人は次の通り。
・新渡戸稲造
・米内光政
・金田一京助
新渡戸稲造は札幌農学校出身のキリスト教者ということは知っていたが、盛岡藩士の三男に生まれた士族であったことは知らなかった。『武士道』を書くにはふさわしかったわけだ。
米内正光は、日本海軍最後の海軍大臣。開戦前に日独伊三国同盟に反対し、総理大臣も務めた。展示によれば、家が貧しかったので、学費が掛からない海軍兵学校に進学したそうだ。この点、日露戦争で活躍した秋山兄弟(松山出身)と同じ。戦前、軍隊が貧しい家庭の子供の身の立て方だったことがわかる。
金田一京助は国語辞典や教科書の編者として有名な言語学者。アイヌ民族の叙事詩「ユーカラ」を生涯をかけて研究した。アイヌの文化や言葉は明治以降、新政府が日本への同化政策を取ったことで、急速に失われた。今、記録だけでも残っているのは、金田一京助の功績だろう。石川啄木とは小学校同級生以来の親友で、貧しかった啄木の面倒を生涯見た。
しかし、上記三人とも、活躍したのは戦前〜戦中にかけてのこと。戦後はどうなのだ
と思いたくなるが、まだ存命中の人を祀り上げるにはリスクが伴う。死んで何十年か経って、評価が固まってしか、税金でこうした施設を作るのは不可能だろう。岩手県の県民性は、「寡黙で辛抱強い、典型的東北人」ということ。長い冬の間、読書にふけったり、絵を描いて過ごしたりするので、学者や芸術家も多いそうだ。
