2017年10月27日
第6章 やりすぎる男
89年からNYに赴任していた横尾氏は、90年11月末米国M&A状況の説明のため日本に出張する。そこに、父親が緊急手術との連絡が入り、郷里の姫路に向かう。翌日、手術が無事終わった旨人事部に連絡を入れたところ、浜松支店への転勤を告げられる。「その足で浜松に向かってくれ」という野村らしい無茶な転勤命令だ。
NYからの引越しどころか、東京で会う予定の大企業のトップらとのアポもキャンセルせざるを得ないほど、浜松支店の状況は切迫していた。当時の人事部担当役員と次長は事業法人部の先輩。ブラックマンデー時の横尾氏の天才的な運用手腕に期待してのことだった。
浜松支店では、前の支店長が顧客にリスクの高い仕手株やワラント投資ばかりはめ込み、90年に入ってからの株価暴落で、資産の大半を失った顧客からの苦情が殺到していた。なかでも、ホンダ創業期の危機を救い、ホンダの大株主であった大口顧客は300億円もの損失を抱えていた。

ここでも、横尾氏は持ち前の創意工夫で逆転ホームランを打つ。赴任早々にイラクがクウェートに侵攻。イラク排除のため湾岸戦争が予想されるなか、オムロンと東洋エンジニアリングがユーロドル建てワラント債を発行することを知る。
「中東に強い東洋エンジニアリングがエクイティファイナンスを実施するのだから、戦争にならないか、開戦しても多国籍軍が一発でイラクを制圧するかだ」
こう考えた横尾氏は、事業法人部時に担当だった東洋エンジニアリングの副社長に湾岸戦争の見通しを電話で問い合わせる。
「戦争はやる。だけど、問題ないよ」
多国籍軍が圧勝するなら、株価は上がるだろう。しかし、東洋エンジニアリングの商売相手は中東に多く、石油プラントの建設代金が支払われない可能性もある。そこで、オムロンのワラントを内容証明を送り付けてきている客に買ってもらうのだ。
内容証明を送り付けているほど怒っている客が(しかも、大半はワラントで大損している)ワラントを購入してくれること自体が不思議なのだが、自宅に帰らず百数十ページものオムロンの資料を自分で作った横尾氏は客が購入してくれると信じて疑わなかったという。実際に、説明に行った法人顧客全員がオムロンのワラント購入のために新規資金を5億円ずつ入れてくれた。資金力のある上場企業1社は20億円分も購入したという。個人客も一千万、二千万と買った。
WB払込日の91年1月17日に多国籍軍の空爆が始まり、株価は大暴騰する。オムロンのワラント価格は、その数日後には2倍になり、大半の顧客の損失は消える。浜松支店への内容証明はすべて取り下げられた

204:NYで離任の挨拶をしたわけでも、NJの自宅マンションに置いてある家財道具を売却に行く時間を与えられたわけでもない。父の緊急手術に立ち向かうため急ぎ帰省した兵庫県姫路市から新幹線に乗り、浜松駅で下車して支店に向かうと、大損している複数の客のところにそのままお詫びに向かった。207:一日当たり5軒から10軒は客を回り、頭を下げた。ワラントを買った人の多くは、全財産を投入していた。商品性を考えれば、ワラントに投資するのはせいぜい資産の1/5程度にしておくべきなのに株と勘違いして全額を投資していた。211:火の粉を払うのが目的だったオムロンのワラント売買だったが、結果的に私のコミッション額も桁違いになった。91年1月が1億円、2月が2億円。全国の支店の半分以上が、私一人のコミッション額を上回れなかった。213:オリンパス山田英雄「森と中塚が証券会社に騙されて、言われる通りに店頭銘柄を買ったら100億円損してしまった」私は「まだそんなことをやっているのか」と驚いた。88年7月に営業特金の損失の穴埋めを終えた際、「資金運用は二度とやらない」と誓ったのに、海のものとも山のものともしれない店頭市場に手を出すなんて、言語道断だった。216:間もなく本社から「社章を外せ」と指示が来たが、私は意地でも外さなかった。野村の役員はこの頃、公の場に出るときに防弾チョッキの着用を義務付けられた。224:運用企画課長に就任とにかくレポートのレベルが、あまりにも低いものばかり。私は野村総研発行のレポートを1年間停止しようと、真剣に考えた。

