2017年10月24日

第3章 「主幹事」を奪え

野村證券第2事業法人部
横尾 宣政
講談社
2017-02-22


金沢支店で3年と8カ月。横尾氏は新人ながら支店のエースとなったことが注目され、「事業法人部」に抜擢される。上場企業グループの資金運用やファイナンスを担当する野村證券の花形部門である。しかし、27歳の新人に大事な客は任せられない。担当させられたのは他社が主幹事でかつ野村との取引実績がないところばかりだったという。

しかし、ここでも横尾氏は独自の工夫で徐々に成績を上げていき、2年目には早くも月間数億円のコミッションを稼ぐようになり、事業法人部でもトップクラスになる。

当時は上場企業と言いながら、内容は同族会社となんら変わらない会社が沢山あった。3章で「ファイナンスのルールを無視する振る舞いにほとほと困った」とされているのが、群栄化学工業(高崎市)。水飴の製造販売会社で戦後のモノ不足の時代に好業績で上場したが、1983年当時、本業は恒常的に苦しい。エクイティファイナンスで資金を調達しては、その運用益で本業の不振をカバーしていたという。当時の会計基準は「原価法」だったので、値上がりした株式や債券を売却して利益を計上する一方、含み損が発生したものは放置する。B/Sには不良資産が溜まる一方だが、これが許されていた時代だった。

日興証券で出したスイスフラン建てのCBの償還期限が迫ったが償還のための資金がない。そこで横尾氏に泣きついてきたという。「何か材料があるなら」と請け負ったところ、カイノールという高機能繊維があるという。そこで横尾氏が取った作戦が捧腹絶倒。「聞いた内容を数枚のリポート用紙にまとめ、極秘というスタンプを押して、野村本社の株式部の入り口あたりに落としておいた」のだという。

それを偶然拾った株式新聞の記者が翌日には早くも記事にした今でもこの方法なら風説の流布に当たらない

108:私は喜一氏から聞いた内容を数枚のリポート用紙にまとめ、極秘というスタンプを押して、野村本社の株式部の入り口あたりに落としておいた。株式部には業界紙の記者が出入りするので、誰が拾うかは分からなかったが、ダメ元でやってみたのだ。すると早くもその翌日、株式新聞に私が思い描いた通りの内容の記事が出た。さらに東京証券取引所の記者クラブで行った決算発表の記者会見に大量の商品を持ち込み、喜一氏が「夢の電池、カイノール電池」などと、1時間あまり”独演会”をやった。私も複数の担当会社に依頼して群栄の株を買い上げてもらった結果、300円台半ばだった群栄の株価は上昇基調に転じ、めでたく転換価格を突破。株式への転換も順調に進み始めた。

116:日商岩井で面倒だったのは、財務担当の副社長からの株価操作のプレッシャーが度を越していたことだ。彼は私に毎日電話してきて、大変な剣幕で「うちの会社の株価を1000円まで持って行け」「ここで1000万株の買いを入れろ」「日興はやってくれているぞ」などと、強烈な圧力をかけてきた。

129:山一は禁じ手である利回り保証の覚え書きを、何の恥じらいもなく客と交わしていた。山一が担当会社に保証していた金額は、少なくとも5000億円はあった。破綻後に報道された97年3月期の簿外債務額(2718億円)を聞いて「そんなに少ないはずがない。1ケタ違うのではないか」と耳を疑ったほどだ。保証商いをしていた上場企業の中には総合商社や金融機関もあり、保証額が数兆円に達していても何の不思議もなかった。


shikoku88 at 19:00│Comments(0) | 仕事

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