2017年10月23日
第1章 ノルマとの戦い
ジャカルタからの帰りに飛行機で読んだのがこの本。現在連載中の日経新聞「私の履歴書」斎藤惇氏のと合わせて読むとさらに面白い。先日読んだ、國重惇史『住友銀行秘史』に匹敵する。あちらはイトマン事件だったが、こちらはオリンパスの巨額粉飾事件がテーマ。1審・2審で有罪判決を受けているが本人は一貫して容疑を否認している。確かに、本書を読むとあれだけの能力を持っていた人があんな稚拙なことはやらないだろうと思える。
面白いので、何度かに分けて紹介していきたい。まずは、野村證券の代名詞ともいわれる「ノルマ」。当時どの証券会社にもノルマはあったが、野村證券のノルマはその額が他社の数倍もあり、また達成に対する厳しさが桁違いであることが知られていた。そして、野村マンはそれをこなすことに強烈な自尊心を持っていた。
京大経済学部を出て野村證券に入社した横尾氏の最初の赴任先は金沢支店。実力主義の会社で働きたいと野村證券に入った横尾氏も、「これはとんでもないところに入った」と後悔したという。
損することが確実な商品を客に売らなければならない。数百億円売買する大口顧客を守るため、数億円位しか投資しない「小口」の客は野村が仕掛ける仕切り売買の最後の受け手として「玉砕」させられる。当時の野村の営業マンは本部から言われる商品と銘柄を言われる通り客に「はめ込む」のが仕事だったのだ。
酷い話なのだが、驚くのは、それが分かっていて若くて優秀な横尾氏に付き合う客たち。横尾氏は小口客を損させて「玉砕」させるのが嫌で、資金に余裕のある特大の富裕層や大企業ばかりを狙うようになる。それも、これまで金沢支店で誰も開拓できなかった先ばかりである。100億円の資産があれば、数億円損させても影響は少ないからだ。この姿勢が横尾氏の基礎を作った。
本社への栄転が決まり、加賀温泉のある旅館の社長に挨拶に行く。別れの言葉はこうだったという。
「オレの数億、無駄にするな。立派になれよ」
株を買おうと思ったら、インターネットではなく、証券会社の営業マンを通さなければ買えなかった時代。良くも悪くも喜怒哀楽があった。
17:当時の証券会社にとってファミリーファンドは、自己勘定による売買で抱えた「しこり玉」を投げる「最後のゴミ捨て場」に過ぎなかった。「投げる」とは、損が出るのを承知で売却すること。証券会社が投資家を巻き込んで好き放題に相場を作り、最終的に引き取り手がいなくなった銘柄も、ファミリーファンドに投げていた。(中略)購入直後から値下がりを続ける一方なのだから、新しく発売されるものは売れず、以前買ってくれた顧客からは恨まれ、われわれ営業マンは本当に泣かされた。36:167人いた私の同期のうち、69人が入社から1年以内に辞めている。1年以内の離職率は何と41.4%。北陸3県でも私と嶋田以外の4人は1年で辞めた。その最大の原因がファミリーファンドとロクイチ国債だったことは想像に難くない。40:客は野村がコミッションを稼ぐだけの売買に徹頭徹尾付き合わされ、最後にババを引かされる。

