2017年09月05日
イトマンをしゃぶりつくした
事件は佳境へ。
住友銀行行内でイトマンに対する調査が一向に着手されないことに焦燥した國重氏は、内部告発文書の配布先を、それまでの大蔵省、日銀、一部マスコミから、住銀の全役員にまで広げる。投函されたのは、1990年8月1日。それでも、届いた手紙を総務部へ持ってきたのはヒラトリのみで、専務陣は一切反応なしだったという。内部抗争の方が大事で、じっと様子をうかがっていたのだ。
組織は頭から腐る。
196:彼は「磯田会長に勲章を取らせる」との一心で、その仕事の先頭に立っていたのだった。そんな松下常務が磯田会長に愛想がつきたという意味は大きかった。223:佐藤茂(川崎定徳社長)「関東のヤクザの間の常識では、野村(許)永中と伊藤寿永光はもうイトマンをしゃぶりつくした。これ以上、カネが出ないとなると今度は住銀にやってくる」230:西川常務「もう、やるしかない。伊藤寿永光の逮捕や、大蔵省検査など他動的な要因で問題が表面化したら住銀の経営能力を問われる。大蔵省、日銀から役員受け入れは、断じて避けねばならぬ」281:磯田会長の娘の園子氏、そしてその夫の黒川洋氏が重要なキーを握っているのは明らかだった。園子氏が勤める高級宝飾店ピサからイトマンは何百億円もの絵画を購入していたし、黒川氏の会社ジャパンスコープが住友グループのあらゆるところに食い込んでいた。これは周囲の人間たちが磯田会長のことをおもんばかって、みなが勝手に黒川氏への厚遇を進めていった面が大きい。
