2017年09月07日
近代最大の仏教学者
鈴木大拙は「近代最大の仏教学者」と言われる。もともと、英語教師をやっていたこともあり、英語が得意で、100冊を超える著作のうち30冊ほどは英文で記された。そのため、鈴木の著作で初めて「禅」に触れたという外国人が多く、ノーベル平和賞の候補にもなった。
鈴木が「日本的霊性」としてあげるのは、浄土系思想と禅。とくに、日本仏教の神髄は「般若の論理(即非の論理)」だという。これが『金剛経』中心思想で、第十三節はにはこうある。
「仏説般若波羅蜜、即非般若波羅蜜。是名般若波羅蜜」
(仏の説き給う般若波羅蜜というのは、すなわち般若波羅蜜ではない。それで般若波羅蜜と名づけるのである)鈴木が「日本的霊性」としてあげるのは、浄土系思想と禅。とくに、日本仏教の神髄は「般若の論理(即非の論理)」だという。これが『金剛経』中心思想で、第十三節はにはこうある。
「仏説般若波羅蜜、即非般若波羅蜜。是名般若波羅蜜」
訳が分からない。でも、「否定を媒介して、初めて肯定に入るのが、本物のものの見方」と言われれば、一人ディベートと考えてもいいのかもしれない。
19:日本人の世界観及び人生観が深さと広さを欠いて居たところから発するのである。まずわれらはわれら自身の国の歴史を科学的に研究しなかった。偏狭で固陋な国学者ーー科学も哲学も宗教も解し得ない国学者の歴史観を唯一のものと心得させられた。(第二冊に序す)34:それなら霊性の日本的なるものとは何か。自分の考えでは、浄土系思想と禅とが、もっとも純粋な姿で、それであるといいたいのである。それは何故かというに、理由は簡単である。浄土系も禅も仏教の一角を占めて、居て仏教は外来の宗教だから純粋に日本的な霊性の覚醒とその表現ではないと思われるかもしれない。が、自分は第一仏教をもって外来の宗教だとは考えない。56:万葉が平安以前の日本的情緒といえるなら、古今をもって平安人の情調といわれるであろう。『古今集』二十巻の中、自然を歌ういわゆる四季の歌が六巻、恋歌が互換を占めて居る。物質に恵まれた貴族生活の行楽遊戯的気分の如何に旺溢して居たかがわかるではないか。而して彼らの如何に涙多いことよ。何かというと泣いて居る。(中略)『源氏物語』のような文学的作品は世界にないというが、こんなもので日本精神が、それが何であるにしても、代表されては情けない。貴族生活の恋愛葛藤・政治的陰謀・官能的快楽・文学的遊戯気分・修辞的技巧などで満たされて居る作品は、余りもてはやさぬが良いと思う。69:鎌倉時代になって、日本人は本当に宗教すなわち霊性の生活に目覚めたといえる。平安時代の始めに、伝教大使や弘法大使に寄りて据え付けられたものが、大地に落ち付いて、それから目を出したといえる。日本人は、それまでは霊性の世界というものを自覚しなかった。91:かようにインド風と志那風とが、すべて違っている。哲学や宗教への点においても、志那人はいかにしてもインドのにはおよばない。すべて思想・理念・哲学・宗教論理という方面からは、志那人はインド的なものに反抗をしない、反駁はしない。327:般若の論理(全ての観念が、まず否定せられて、それからまた肯定に還る)AはAだというのは、AはAでない、故に、AはAである。
般若論理:否定を媒介して、初めて肯定に入るのが、本当のものの見方
*われらは始めから生も死もないのに、生まれて死んで、死んで生まれるというと、却って不思議になるのに、われらはそれに気がつかない。そして、いつまでも生きたいとか、死にたくないとかいう。そこにかえって波瀾が起きた。
