2017年09月15日

『志ん生一代』(結城昌治箸)をめぐる対話

女の足指と電話機 (中公文庫)
虫明 亜呂無
中央公論新社
2016-11-18


志ん生一代』(結城昌治箸)は先に読んだ。そこで描かれていたのは、破天荒な志ん生の姿だが、虫明さんによれば、それは「結城さん自身のための『志ん生』伝」ということ。

最後の行動の部分は同じなのだが、虫明さんは、「強情で、意地っ張りで、負けん気だけがつよく、自分を大きく見せたいために、かえって意固地なほど神経質で、内省的で、臆病だった」と分析する。なるほど、臆病者がそうであるがゆえに悶々と悩んだあげく、非常識な行動を見せて周りがあっけにとられることがある。

結城昌治の本では、「何度も弟子を首になったために出世が遅れた」とだけあったが、実際は、終戦直後の満州での限界体験が芸を一変させたという。「酒が飲める」と聞いて満州に慰問に渡った志ん生だが、1945年8月9日にソ連が突如参戦してからは地獄に変わる。ソ連兵による虐殺・強姦が日常茶飯事となり、止めに入れば自分が殺されるので見て見ぬふり。

さすがの志ん生も死んだ方がましと自殺を図る。しかし、そこは志ん生。どうせならと飲んだのはウオッカ6本。ふつうウオッカをこれだけ一気に飲めば死ぬが、数日間意識を失ったのち、回復。

「死なないのなら少しずつ飲めばよかった」と言ったそうだ。

295:強情で、意地っ張りで、負けん気だけがつよく、自分を大きく見せたいために、かえって意固地なほど神経質で、内省的で、臆病だった志ん生は破天荒な生涯を送ったが、ながい間の下積み生活をかさねたから、いったん高座にあがると恐ろしいほどの糞度胸を発揮して、天衣無縫の芸で客を圧倒した。

296:結城昌治さんの『志ん生一代』は、古今亭志ん生伝ではない。桂文楽とならんで、戦後の落語の二大巨峰であった志ん生の芸風を記録風に再現したものでもなければ、志ん生の性格や、心理や、行動を分析し、小説風に再構成したものでもない。奇妙な言いかただが、これは実在した古今亭志ん生ともう一人別の志ん生、はっきり云えば、結城さん自身のための「志ん生」伝である。

301:と、なると彼の飛躍と変貌に起爆剤的な役割をはたしたのは、満州時代の諸体験ということになってくる。生死の境をくぐったというと安直になってしまうが、一度、死んだと思えば、志ん生は自分の芸になんの制約もおかず、若い時からつみかさねた芸の真価を素直に、だれに気がねもすることなく表現してゆけばよかった。破格と乱調が、彼天来のフラに乗って、むしろ、それが描写の逞しい骨格になっていったのである。

shikoku88 at 20:32│Comments(0) | その他

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