2017年09月13日
男の娯楽
著者は湯島の生まれ、とある。「少年時代の遊び場は、湯島天神、不忍池、上野の山、本郷であった」そうだ。これは私の今の地元でもある。
虫明少年は荒川の場末の映画館で三流映画を見、上野の鈴本演芸場で落語を聞いた。(『上野回想』)
虫明少年は荒川の場末の映画館で三流映画を見、上野の鈴本演芸場で落語を聞いた。(『上野回想』)
こちらに引っ越して来て感じたのは、下町の匂い。上野界隈には江戸時代から続く娯楽文化が所々残っている。しかし、何か、もの悲しい。国の文化施設が集積した上野公園で暮らすホームレス達。朝、不忍池をジョギングすれば、酔いつぶれて公園のベンチで夜を明かしたと思われる人びと。
上野や浅草の全盛期は戦前であったはずだが、それも、大正期には電車網が発達して新宿や渋谷などの「副都心」が形成された。上野は相対的に貧しかった東北地方への玄関口でもあり、昭和恐慌での「もの憂い生活」のなかに、せめても喜びを味わおうとする「哀れ」の雰囲気が漂っていたという。(同)
虫明氏の世界観、ダメな人間に対する共感はこの地で形成された。
46:ぼくに人間の悲しさを教えてくれたのは映画と落語である。47:ぼくは子供心に、だれもが、世知辛い世に懸命に生きてゆこうとしているのに、世の中はままならず、人びとが懸命であればあるほど、彼らの言うことやなすことは、ナンセンスとユーモアとペーソスの連続になってゆくことを知った。喜劇は人を泣かす。49:そのような中で、職業野球は社会に背を向け、ぼくたちに閑暇と落莫の時を過ごさせてくれる、ただひとつの娯楽になっていた。51:競馬もまた申し分なくダメな世界であった。民主主義の時流にのれなかった、ある意味で頑固一徹で排他的な特殊な集団が、陽の目をみずに虚しくくりかえす幻影と虚脱とが織りあげる狂乱の場であった。
