2017年08月12日
戦前の山手族の遊びコース
この短編集の最後は、「紀元は二千六百年」。そこに戦前の山手族の遊びコースが出てくる。
271:新派のもどりは吉田のそばからコロンバン、歌舞伎なら天金から千疋屋、足袋は武蔵屋、履物なら阿波屋、ちょいと粋な袋物は吉野家で、指輪は村松「新派」とは新派劇団のことだろう。明治時代に始まった現代劇で、「旧派」の歌舞伎に対して「新派」と言われた。
新派の演劇を見てから、吉田屋でそばを食べ、コロンバン(原宿)でお茶をするのだろう。吉田屋は立会川の吉田屋でいいのだろうか?私は、大昔一度行ったきりだ。
歌舞伎座の場所は戦前から変わってないから、東銀座で歌舞伎を観た後は、天金で天ぷらを食べ、千疋屋フルーツパーラーでお茶。天金は聞いたことがないと思ったら、戦前東京一有名な天ぷら屋だったらしいが、1970年に閉店している。借地だったらしく、銀座の地価が高騰する中でやっていけなくなったようだ。
武蔵屋は、現在の「むさしや足袋店」のことだろう。1874年に銀座で創業したとある。阿波屋も銀座に残っている。吉野家とあるのは、和装小物の「吉の家」(赤坂)のことだろうか。1879年の創業から、「赤坂花柳界の和装を支えてきた」とある。
「指輪は松村」だけ不明。仮に、松村が廃業していたとしても、紹介されている8店中、6店は戦前戦後の混乱や、高度経済成長の大変化も乗り越え、継続していることになる。これは、やはり、世界的に見て珍しいことではないだろうか。
それに加えてなお恐ろしいとおもったのは、こういう人間(社会)の本質はいつの時代でも同じなのだ、と野坂が考えている歴史観であった。つづめていうと、戦争下でも平和時でも、人間のやることは変わらない、という思想である。その思想をもっともよく表しているのが、本巻で言えば、「紀元は二千六百年」であろうか。(中略)
紀元二千六百年の奉祝といえば、昭和十五年の天皇紀元二千六百年を祝う国家行事であるが、小説の舞台はそれから三十年近く後、大阪万博を直前にしたころである。主人公の美夫は四十四歳。一年前は東京の広告代理店で製作部長をつとめていたが、ふいに家を出た。いわゆる「蒸発」である。(解説:松本健一)

