2017年08月02日

国鉄分割・民営化30年目の真実




国鉄とか国電とか言っても、分からない人が増えている。ふと気が付けば、国鉄が分割・民営化されてから30年になる。当時10歳の子どもがかろうじて覚えているとすれば、40歳以下は国鉄を知らない、ということになる。

私など、最寄り駅まで7kmの田舎で生まれ育ったから、四国ではほとんど汽車(まだ電化されていなかったので、SL時代から変わらずディーゼル列車をそう呼んでいた)に乗ることもなく、進学で上京してから初めて「電車」に乗った。それから民営化まではたったの5年なので、私が知っているのは最後の国鉄ということになる。

印象は悪い。まず、窓口の対応がぞんざい。こちらが急いでいても、同僚と世間話をしていたりする。事故も多かった。労組が「安全」を盾に「合理化」に反対していた。その結果、職員数を見ると民間鉄道会社よりよほど多いのだが、事故率は断然多かった。要するに、現場がたるんでいたのだ。

国鉄解体時の累積債務は25兆円。同額の税金を投入して国鉄の経営が赤字になった1964年以来、30年間にわたって国は支え続けたことになる。「鉄建公団」のドンと呼ばれ、税金で新路線をつくって、出来たら国鉄に押し付けるという方式を編み出した田中角栄が、国鉄労働組合を差配した共産党の細井宗一と軍隊で上司部下であり(田中が部下)、密接につながっていたというのは興味深い。

「長年、栄華を誇った巨大組織が、内部に巣くった腐敗や権力闘争によって崩壊していく」「国鉄利権を手放そうとしない政治と経営陣の確執、経営陣と組合とのせめぎ合い、経営内部での派閥抗争、憎しみが怨念にまで達した組合対組合の労労対決」・・・全て、親方日の丸で潰れないと関係者が思っていたからで、遅ればせながらだが、よくぞ民営化が成功したものだと思う。


13:国鉄法 第一条
国が国有鉄道事業特別会計をもって経営している鉄道事業その他一切の事業を経営し、能率的な運営により、これを発展せしめ、もって公共の福祉を増進することを目的として、ここに日本国有鉄道を設立する。→「公共の福祉を増進することを目的」というこの条文で、国鉄は長い間、政治の世界に翻弄され続ける。

17:国鉄の経営が単年度赤字に陥ったのは、東海道新幹線が開業した昭和39年(1964)。それから20年余。公共企業体「国鉄」は、労使の対立と同時に、労働組合同士のいがみ合い、国鉄当局内の派閥抗争、政府、自民党内の運輸族や、組合の支持を受けた社会党の圧力などが複雑に絡み合い、赤字の解消や経営の合理化などの改革案は常に先送りされ続けた。その結果、莫大な累積債務を抱え、ついに「分割・民営化」という”解体”に追い込まれ、7万人余の職員がその職場を失うことになったのである。

28:美濃部都知事は、皮肉なことに、彼が目の敵にした高度経済成長のおかげで潤った都財政を武器に”ばらまき”福祉政策を打ち出し、一方で「一人でも反対があれば」と橋や道路の建設をストップした。

37:昭和43年3月31日、全国の拠点で国労・動労が半日ストに突入
国労はスト解除の見返りとして「時短実施の確約」と「現場協議制度の確立」を勝ち取った。(中略)この現場協議制度が、国鉄当局から経営の基盤となる「現場管理権」を奪い、国鉄の迷走が始まったといってもいいだろう。

162:旧知の田中角栄、西村英一の要請で総裁に就任した藤井は、政界の派閥抗争の荒波に翻弄され、マル生闘争の勝利で増長した組合との狭間でもがきながら、惨めな辞任に追い込まれたのである。以後、国鉄当局のエリート職員たちはいっそう、“事なかれ主義”へと走る。マル生以来、連戦連勝で押しまくっていた組合側にも初めての躓きとなった。彼らはスト権ストでの敗北の鬱憤を晴らすように、現場協議の場での「職制マヒ職場闘争」を強めていく。国鉄は内部からも崩壊への歩みを速めていた。




shikoku88 at 21:29│Comments(0) | 政治

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