2017年05月24日
幸福の文学
引き続き、丸谷才一『別れの挨拶』から。丸谷さんは小説家だけでなく、優れた評論家でもある。本の中盤では、吉田健一のことを書いた「幸福の文学」が面白い。
「この本には、うまい料理を食べたりうまい酒を呑んだりするのが幸福なことだといふことが書いてある。これは日本の文学史ではじめての事件だった。大げさなことを言うふなと怒られるかもしれませんが本当なので、紫式部だって芭蕉だって夏目漱石だって、かういふ幸福のことは書いてないのである」
それで、「この本」というのが、上記の『酒肴酒』。残念ながら読んだことがないのだけど、例えば、NYの朝飯屋についてこんなふうに書いているらしい。
「卵の匂いがする卵や、バタの匂いがするバタの朝の食事を出す」
ウーン、簡潔にして十分。瞬時に、読者がこれまで食べた中で最もうまかった洋朝食の匂いを思い出したに違いない。
では、吉田健一はどうやってこうした文章が書けたのか。まずは、幼少の頃から良いものを食べてないとダメだろう。そのうえで文才がなくてはならない。
ご存知の通り、吉田健一は吉田茂の長男。戦前、外交官であった父の転勤に伴って、6−14歳の多感な時期を、青島、パリ、ロンドン、天津と海外で過ごしている。外交官は海外赴任中の手当は特に厚かったので、当時としては紛れもない特権階級である。
その後帰国して、暁星中学(旧制)へ編入、卒業後はケンブリッジ大学のKing's Collegeに入学している。しかし、そこで文学の教授に、「文学をやるのなら、母国に戻って、母国語で書くべきだ」と言われて大学を中退して帰国している。
母の死後、吉田茂が愛人であった新橋の芸者を家に迎え入れたため、親子関係は悪くなったと言われている。そのためか、父吉田茂についてほとんど語ることはなかった。最終的に和解できたのかどうか、気になる。
83:幸福の文学というのは、明治末年以後の日本文学では、人生は無価値なもので生きるに値しないといふ考え方が大はやりにはやっていたのだが、その考え方と最も威勢よく争った文学者はほかならぬ吉田(健一)さんだったから。彼は、人生が生きるに値するものであり、その人生には喜びや楽しみや幸福感があるといふことを主張した。95:社会的人間であることを嫌うという点では、この病者への執着は、例の「余計者」(これも重要な文学用語)とよく似ている。これはロシア文学史の概念で、社会に適合できない知的でニヒリスティックな人物のことだが、これも明治末年以来、日本では非常に受けた。122:ルネサンス人をたたへるあの和田(誠)さんの回想は文学的虚構、自己美化ではなく、まったくのリアリズムで会ったと思ふ。などと変なことを言い出したのはジョイスの例があるからだ。147:ある危険な本の読後にマクス・ウェーバーは『職業としての学問』といふ有名な講演で、学問が必要とするものは体系的な研究作業、偶然的な思いつき、情熱的な問いかけの三つだと言っていた。これはたしかに信用できて、一方わたしの体験から言わせてもらふと、エセイが必要とするものは、芸としての文体、展開のための構成、効果的な演出の三つだろう。そして後者三つは小林(英雄)はたしかに不自由しなかったけれど、前者三つのうち偶然的な思いつき以外の二つは持ち合わせていない。
