2017年02月06日
Googleでの働き方
先月、Googleの元AP人事部長に会った話は書いた。彼はポーランド人だが、その上司に当たるGoogleの人事担当役員はルーマニア人だった!
1972年ルーマニアに生まれ、YaleでMBA取得後マッキンゼーのコンサルタント、人事に興味を持ち優れた人事制度を持つことで定評のあるGEに転職、そして2006年株式公開して急激に事業拡大していたGoogleの人事部長として転職。「従業員が6000千人から6万人に増えていく過程で人事システムを設計した」とある。
面白い内容なので、章毎に紹介していきたい。その前に、この人自身のキャリアに興味を持った。本書の「はしがき」にあるタイトルは、「悪夢のようなキャリア」
Yale MBA、McKinsey、GE、Googleなどのキーワードを見ればエリートそのものなのだが、細かく見るとそうすんなりしたものではない。ホワイトカラーの仕事だけでなく、ブルーカラーの仕事もしたと言う。McKinseyでMBA新卒10万ドル以上を得たこともあれば、最低賃金で働いたこともある。要するに、常にえり好みせず働いている。
これにはルーマニア生まれの移民であることが大きいのだろう。当時のルーマニアは現在の北朝鮮そっくりだったという。「政府を批判した友人や家族が姿を消し」「子供は両親のスパイをするようそそのかされる」共産党員は贅沢を出来る一方、彼の両親がはじめてバナナを口にしたのは30代になってからだという。
なので、働いて給料を貰うようになった時、レストランで前菜とアルコールを初めて頼み、最高の幸せを感じだという。この人には、働ける環境があるのに働かない人は理解できないに違いない。
はしがき:悪夢のようなキャリア3:(はじめて給料をもらった14歳の時)以後28年に渡り、千鳥足で歩くかのようにさまざまな職歴を重ねてきた。(中略)総菜店、レストラン、図書館。カリフォルニアでは高校生の家庭教師をし、日本では小学生に英語を教えた。5:ブルーカラーの仕事もホワイトカラーの仕事も経験した。最低賃金で働いたこともあれば10万ドル以上の俸給を得ていたこともある。高校も出ていない人や世界の超一流大学で博士号を取った人と協力し仕事をしたこともある。世界を変えることを唯一の目的とする環境で働いたこともあれば、オーナーの利益がすべてという会社にいたこともある。7:1981年から2001年にかけてCEOを務めたジャック・ウェルチにとって、人事は重要だった。彼は半分以上の時間を人事問題に費やしていた。最高人事責任者のビル・コナティとともにつくりあげた人事管理システムは、多くの称賛を浴びた。具体的には、業績にもとづいて社員を厳格にランク付けする、12-18カ月ごとに最高の人材を求めて転職を支援する、NYのクロトンヴィルにグローバル研修センターをつくる、といったことだ。11:私が入社して以降、グーグルは6000人だった社員をほぼ6万人に増やし、40カ国以上に70余りのオフィスを置くまでになっている。『フォーチュン』はグーグルを「最も働きたい会社」に繰り返し指名してきた。(中略)私たちは毎年約200万通もの就職申込書を受けとる。出願者は世界各地にまたがっており、ありとあらゆる経歴を持っている。このうちグーグルが雇うのは年に数千人にすぎないから、ハーバード大学、イェール大学、プリンストン大学などとくらべて競争率は25倍にもなる。
