2016年12月07日

エネルギー量が人口を決める

水力発電が日本を救う
竹村 公太郎
東洋経済新報社
2016-08-19


本書には、「なぜ、地形を見ればエネルギーの将来が分かるのか」という章があり、地理の視点からエネルギーを考えている。これが、非常に面白い。

日本史上、なぜ奈良から京都への遷都が行われたのか、家康はなぜ江戸に幕府を開いたのかには定説がなかった。 奈良盆地には200年間も都がおかれたのに、8世紀末突然桓武天皇によって京都に遷都された。家康は関ヶ原の戦いに勝ったとはいえ、大坂には豊臣家が健在であったし、敵対していた毛利、島津の大大名も皆西日本にいた。京都か、あるいは西国に近く出身地である名古屋・三河あたりに本拠を置くのが自然だ。

歴史学者でない筆者の結論は明快で、どちらも「森林資源が枯渇したから」。そして、これがそれ以外考えられないほどパワフルなのだ。

まず、奈良だが、奈良の平均人口は10万人であった(ピーク時20万人)。当時のエネルギー源は薪。人ひとり年間10本の木が必要であった。つまり、年間100万本の木が必要で、これは森林100万坪に当たる。これが200年続けば奈良盆地の周辺は全部はげ山になってしまう。燃料が無くなれば都は維持できない。

実際、コンラッド・タットマンという歴史学者が神社仏閣に使用された木材の出所を古文書の記録で調べたところ、奈良時代後半には木材伐採エリアが紀伊半島から琵琶湖の北にまで広がっていたことが分かっている。これ以上、伐採エリアを拡大することは物流コストの点から不可能だ。

同様に、家康が江戸に幕府を開いた理由もエネルギー(森林資源)だったと推定できる。京都に遷都して800年、その頃には、関西にはもうめぼしい木材が残っていなかったのだ。
 
江戸に開かれた幕府は関東平野の手つかずの森林資源を使い発展していく。江戸の人口は当時世界最大の100万人に達した。しかし、それ以上に増えることはなかった。下図は同じくタットマンによる研究で、江戸への有力な木材供給源であった天竜川流域の木材伐採量を示している。エネルギー源であり建築材料でもある森林資源は重大戦略拠点であったので、幕府はここを天領としている。

これによれば江戸中期に出荷木材数はピークとなり、以後急減する。採りやすいところの木は伐採してしまい、次第に伐採が難しくなり、ついには木材資源が枯渇してしまったと推定される。江戸幕府もまたエネルギー不足による「文明の限界」を迎えていたわけで、黒船が来たのは幕府崩壊のきっかけに過ぎないという見方もできるかもしれない。

江戸時代末期(1833-34)に掛かれた歌川広重の「東海道五十三次」の絵を見ると、どの絵をとっても山に木がほとんど生えていない。文明は戦国時代までに関西の森林を壊滅させ、さらに江戸時代を通じて関東と東海道の森林も壊滅した時、文明は発展を止め社会は閉塞状態に陥っていたのだ。

明治になって、石炭という新たなエネルギーを得て、文明は再び発展を始める。肉体労働が減り、食料生産が増え、貿易で物資が流通するので、人口が増える。エネルギー量が人口を決めるのだ。 


INSENT 

























101:地形を見ればエネルギーの将来が分かる
・奈良→京都への遷都はエネルギー不足が原因
奈良にはもうエネルギー(薪)が残っていなかった。
人ひとり年間10本x10万人=年間100万本=森林100万坪
これが200年続き、奈良時代後半には寺社建築の木材伐採エリアが紀伊半島から琵琶湖の北にまで
・家康が江戸に幕府を開いた理由は豊富なエネルギー
この当時、関西にはもう木材がなかった
・幕末は文明の限界
木材不足

114:石油は日本を戦争へと駆り立てた
「先の戦争は石油で始まり、石油で終わった」(『昭和天皇独白録』)
ヒトラーもバクー油田を狙いソ連に侵攻

120:化石燃料は、過去の太陽エネルギーの缶詰

121:エネルギーの量が人口を決める
江戸:30M(木材)英仏もほぼ同じ人口
明治:石炭になり人口増加 


shikoku88 at 16:58│Comments(0) | 史跡・公園

コメントする

名前
 
  絵文字