2016年12月03日

金毘羅さんはお寺だった

さわかみファンド































観光客で賑わう金丸座(金毘羅大芝居)の下にひっそりとたたずむのが真言宗金光院松尾寺。年間300万の参拝客が訪れる金毘羅さんに対して、こちらは観光客は皆無。

しかし、実は、こちらがかつては金比羅宮の本院であった。1573年に松尾寺の境内に祀られた金毘羅神が始まりだった。それからわずか50-60年の間に金比羅は全国にその名を知られるようになる。この間に何があったのか?

まず、戦国時代荒廃していた松尾寺を別当の宥盛が信仰を広め境内を整備した。次いで、跡を継いだ別当の宥光が参拝の土産物として○に金の印を入れたうちわをつくることを思いつき、大和国(奈良県)から技術者を招いたと言われる(Wikipedia)。このうちわをせっせと内職で作ったのが丸亀藩の藩士であった。丸亀は今でもうちわ生産全国一を誇る。

江戸時代中期になると金毘羅信仰は庶民に広まり、全国に金毘羅講が結成される。金毘羅参りのために会員がお金を積立てし、代表を交代で参拝させるのだ。お伊勢参りの次に人気があったらしい。

数奇な運命をたどったのは松尾寺で、本来、金比羅宮は寺の一部であったにもかかわらず、金比羅宮の方が圧倒的に大きくなる。まるで、子会社が思いがけない成功で親会社を追い抜いてしまったようなものだ。それでも、江戸時代は組織的には松尾寺の方が上。それが明治元年の神仏分離令で松尾寺は廃寺となり、金比羅宮は神道の神社となる。

現在の松尾寺は
塔頭であった普門院が象頭山を下りて、現在の地に再興しものである。神仏分離は明治政府の「神道国教化」の政策で行われたが、その後廃止。しかし、一旦分離された「神仏習合」は元に戻ることはなかった。 

shikoku88 at 15:32│Comments(0)TrackBack(0)四国 | 史跡・公園

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