2016年08月19日
黒いスイス
先日読んだ『スイス人に学ぶ人生を豊かにするための知恵』のことを書いたら、「こんな本もありますよ」と教えてくれたのが、これ。毎日新聞の特派員として6年間ジュネーブに駐在した福原直樹さんによる著書。
軍事大国であることや、マネーロンダリングの話は有名だが、かつての人種差別の酷さは衝撃的。押し寄せるユダヤ系ドイツ人に恐れをなしたスイス政府は、1938年全てのユダヤ系ドイツ人の旅券に「J」のスタンプを押すようにナチスに申し入れる。そしてその当時、スイス政府はナチスがユダヤ人を虐殺していることも掌握していた。
「国益にならない面倒ごとには一切関わらない」という、スイスらしい合理主義と完璧主義である。そういえば、スイスのそういうところが嫌でフランス国籍を取ったスイス人の友達がいた。今は、香港人と結婚して香港で暮らしているけど。
「優生学」的立場からロマ族を殲滅しようとしたプログラムは第二次世界大戦後も続く。なんと、1926年から1972年までロマ族の子供1000人以上を政府の支援を受けた公共団体が誘拐して親から引き離していたというのだ。(ロマ族はインド北西部が起源という、定住せず欧州各地を渡り歩く「流浪の民」で、700-850万人という推計)
そして現在も、スイス帰化のための審査は人種が左右するという。
13:誘拐した公共団体の名前は「青少年のために」という。今でもチューリヒに存在するこの団体は、1926年から1972年までの46年間、ロマ族の子供1000人以上を誘拐して親から引き離し、強制的に精神病院や施設などに入れていたのだ。一部の子供はスイス人家庭に里子に出された。そして子供たちは、成人するまで家族との接触を一切禁じられていた。31:1938年。ナチスは政権掌握から5年後のこの年に、オーストリアを併合する。そしてこれを機に、ナチスの人種差別政策を恐れるユダヤ系ドイツ人が、スイスに大量に流入し始めた。この事態に直面したスイス政府の対応策は、驚くべきものだった。押し寄せるユダヤ人を国境で識別し、追い返すために、全てのユダヤ系ドイツ人の旅券に「J」のスタンプを押すよう、ナチスに申し入れたのだ。85:開発予定の核兵器の種類や、核実験の場所まで決めていた点、核兵器が製造できる段階に達しながら、国際情勢の変化で核保有を断念した点など、スウェーデンの核開発は、スイスのそれと似た道をたどった。スイスが、自国同様、欧州の小国で中立国でもあるスウェーデンと共同核開発の道を探ったのは、自然なことだったのかもしれない。
105:スイスへの帰化を希望する外国人は、最終的にどこかの市や、町などの自治体で「本籍」を取得して、初めてスイス国民として認められる。そしてこの本籍取得の手続きは、各自治体でそれぞれ独自に決められている。日本と違い、地方分権が強いスイスの場合、国籍を与える実質的な権限は、ほとんどこの地方自治体が握っているといってもいい。

