2016年08月16日

東洋一の大邸宅



駒場の日本民藝館を見学した後、隣の駒場公園に向かう。ここには、旧前田侯爵邸が現存する。

NHK大河ドラマ「真田丸」では、秀吉が死んで、前田利家が秀吉の嫡男・秀頼の傅役(後見人)となったところ。前田家はもちろん、加賀百万石のお殿様だが、参勤交代制度のため半分は江戸に居た。

その加賀藩の上屋敷だったのが現在の東大本郷キャンパス。本郷上屋敷の広さは104千坪。東京ドーム7.3個分という。明治になってその所領の大半は政府に没収されてしまうのだが、それでも南西の区画約1万坪が残され、前田家第16代当主・前田利為が壮大な邸宅を構えていたという。

1923年の関東大震災後、東京帝国大学は同地で拡張して再建することになり、前田家が引き続き持っていた所有地とその屋敷(「懐徳館」が東大の迎賓館として使われていたが、空襲で全焼)と、東大農学部が駒場に持っていた農場の一部4万坪が交換されることになる。

こうして、前田家は図らずも駒場に移転することになる。その地に、昭和4-5年にかけて侯爵・前田利為が建築したのが当時「東洋一の大邸宅」と言われた前田侯爵邸なのである。地上3階、地下一階の鉄筋コンクリート造り。隣にある純日本風2階建ての和館とは渡り廊下で結ばれている。使用人も100人以上いたという。

前田侯爵邸はその後数奇な運命をたどる。陸軍大学校(東条英機と同期)を出た利為は大東亜戦争が勃発すると、翌昭和17年にボルネオ方面軍司令官として赴任する。しかし着任早々、現地で搭乗機が墜落して不慮の死を遂げる。

主人を失った後、一家は他へ移り、昭和19年に中島飛行機本社がここを買い取り、都心から疎開してくるのだ。それもつかの間、1年で敗戦。当初、マッカーサーの邸宅として検討されたが、隣接する民家との距離が近すぎて警備が大変との理由で脚下される。

代わりにここを官邸としたのが第5空軍司令官のホワイトヘッド。続いて昭和26年に極東総司令官マッカーサーが解任されてからは 後任のリッジウェイの官邸となる。占領終了後は、元の所有者である中島飛行機を承継した富士産業(現スバル)に戻された後、昭和38年、都立公園とすることが決定された。

昭和39年(オリンピックの年だ)に洋館を東京都が買収、整備を経て東京都立駒場公園としてオープンしたのが昭和42年。昭和50年に公園の管理が目黒区に移管されて現在に至っている。 

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