2016年07月22日

「われわれは地球を支配しなければならない」




国共内戦に勝利し、中国を統一した毛沢東が次に考えていたのは世界制覇だった。1950年の朝鮮戦争は毛沢東がソ連の武器技術を引き出すために仕掛けた戦争だった。アメリカとの直接戦争を避けていたスターリンに、「中国が代わりにやるから」と武器援助を引き出した。

その後も、「大躍進」による大飢饉の間、数千万人の自国民が飢え死にするのをしり目に、なけなしの食料をソ連に輸出して武器代金の支払いに充てた。この方針に反対した国家主席の劉少奇を毛沢東は忘れなかった。その後の文化大革命で劉少奇は「『毛沢東語録』を振り回す職員ら」に打ちすえられ、地面に倒され踏みつけられた。監禁されたまま苦悶の末に果てた。

さらに、ベトナム戦争も毛沢東が仕掛けた。これはベトナム戦争への中国の直接介入をちらつかせることで、当時中国がソ連の技術供与で進めていた原爆開発阻止をアメリカに思いとどまらせるためだった。「中国が支援するから」とホーチミンをけしかけ南ベトナムに侵攻させて、アメリカを戦争に引き込んだのだ。

恐るべき毛沢東の悪知恵。本書は480人にも上るインタビューとアメリカやロシアで情報公開された資料によって構成されている。共著の夫でイギリス人のHalliday氏はロシア語に堪能な歴史学者ということ。出版されて10年以上たつ今も、本書が中国で出版禁止になっているのはうなづける。


54:ソ連訪問中に毛沢東は考えを変え、アメリカと正面から対決する決意を固めた。中国を世界一流の軍事大国にするために必要な援助をスターリンから引き出す方法はこれしかない、と考えたからだ。中国がスターリンに代わってアメリカと戦い、それと引き換えにソ連が技術と装備を提供する。

61:毛沢東には、自分がアメリカに負けるはずがない、という確信があった。中国には何百万人もの兵隊を使い捨てにできるという基本的な強みがあるからだ。ちょうど厄介払いしたいと思っている部隊もあった――朝鮮戦争は、国民党部隊の敗残兵を戦場に送って始末する格好の機会になるだろう。彼らは内戦末期に部隊ごとまとまって投降してきた国民党軍兵士で、毛沢東は意図的に彼らを朝鮮の戦場に送り込んだ。万が一国連軍が始末をつけてくれなかった場合に備えて、後方には特別の処刑部隊が待機して戦線から逃げもどってきた兵士たちを始末することになっていた。

208:毛沢東の女漁りはますます人目を憚らぬものになっていた。中南海ではではダンスホールに新しくラウンジが併設され、ベッドが据え付けられた。毛沢東は一人または数人の女性をこの部屋に連れ込み、性の戯れや乱交に及んだ。

229:国際社会における毛沢東の自己宣伝を後押ししたのは、ますます派手になった三点セットーー武器、金、食料ーーの大盤振る舞いだった。1960年1月21日、対外貿易部や外交部と同列の組織として対外経済連絡総局が新設され、対外援助の拡大を担当することになった。対外援助額は一気に増大した。毛沢東がこうした大盤振る舞いをした時期は、中国で世界史上最悪の飢饉が起きた時期と重なっている。1960年だけで、2200万人以上の中国人が餓死した。

263:万一ワシントンが中国の核施設を攻撃した場合、中国軍はベトナムになだれこんで朝鮮戦争のときのように人海戦術でアメリカ軍を殲滅できる。こうした状況を作り出すために、1964年にはいって、毛沢東はインドシナにおける戦争を拡大するようにベトナムに強い圧力をかけはじめた。

272:毛沢東の趣味は寝床で読書にふけることだった。しかし、毛沢東は中国人民には無知を望んだのである。指導部内で、毛沢東は、「わが国には『愚民政策』が必要だ」と発言している。

364:当局は最も残酷に人を殺害する方法を人民に教えるために「殺人様板会」(殺人模範会)を開き、警察が殺害を監督指導するケースさえあった。残虐な殺し方が助長される中、自治区の各地で喫人(人肉食)がおこなわれた。最もよく知られているのは武宣県で、毛沢東の死後におこなわれた公式調査では犠牲者76人の氏名が明らかにされている。喫人は、まず毛沢東政権お定まりの行事である「批闘会」から始まった。犠牲者たちは批闘会の終了直後に殺害され(中略)、その場で料理して食べられた。

426:「ニクソンは、ピンポン外交がスポーツ面を飛び出して一面に躍り出た展開に目をみはっていた」と、ある評論家が書いている。たったひとつの決定で、毛沢東は、1972年に大統領選挙を控えるニクソンにとって訪中を重要な政治イベントにしてしまったのである。

504:1975年にカンボジアを制圧したクメール・ルージュ政権の確立に、毛沢東は重要な役割を果たした。クメール・ルージュの指導者で数年間に25万人近いカンボジア国民を虐殺したポル・ポトは、毛沢東をそのまま投影したような人物だった。クメール・ルージュがカンボジアを制圧した直後、毛沢東はポル・ポトと直接会って、「きみは偉大なる勝利をおさめた。ただの一撃で階級を消滅させた」と、強制労働収容所国家の成立を祝福した。つまり、国民全員を奴隷化した快挙を祝福したのである。 


shikoku88 at 19:09コメント(0)トラックバック(0) |  | 政治 

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