2016年06月24日
誰も知らなかった毛沢東
世界的大ベストセラー『ワイルド・スワン』の著者による「毛沢東伝」。「十余年にわたる調査と数百人におよぶ関係者へのインタビュー」にもとづいている。
中国国内では、毛沢東の親族、秘書、通訳、護衛、医療関係者、家政担当者、愛人、そして若いころの友人など、毛沢東のすぐ近くにいた100人ほどの人々にインタビューを実施している。その多くは、これまで一度も口を開いたことのなかった人々で、1990年代になって毛沢東の呪縛が解けて初めて可能になった真の毛沢東像に迫る本だと言える。
そうして明らかになるのは、狡猾で非道、冷徹で貪欲な独裁者である。大きな転機になっているのは、周到な工作で戦中戦後とアメリカを手玉に取ったことだ。ナイーブなアメリカ人ジャーナリスト「エドガー・スノー」に書かせた『中国の赤い星』(1937)は中国共産党の血塗られた過去を消して、アメリカの支援を決定づけた。
日本にとって重要なのは、毛沢東は日本による中国占領を歓迎していたということである。毛沢東にとって中国支配のための最大の障害は蒋介石の国民党であり、日本軍に国民党軍を攻撃させるように仕向けた。国共合作後も、共産党軍は日本軍との戦いを避けていたので、共産党軍が「抗日」したわけではない。しかし、第二次大戦後、国民党との内戦に勝って中国を手中にしたのち、歴史を書き換えてしまったのだ。
4: 毛沢東は抗日に熱心だったと信じられていますが、事実はまったく逆で、毛沢東は日本が中国を広範に占領する展開を歓迎していました。日本軍が自分に代わってライバルの国民党指導者蒋介石を打ち負かしてくれればいい、と考えていたのです。後年、毛沢東は、国民党政府の戦時首都であった重慶まで日本軍が攻め込む展開を望んでいた、と語っています。毛沢東は、後ろ盾であるスターリンが中国に干渉して日本とソ連で中国を分割する、という状況を作り出そうと画策しました。326:『毛沢東自伝』の大部分を構成するのは、1936年夏に毛沢東がアメリカ人ジャーナリスト、エドガー・スノーのインタビューに応じた際の内容である。毛沢東が自分の人生について後半に語ったのは、このときだけだった。スノーはまた、毛沢東および他の共産党員とのインタビューに圧倒的に依拠した内容の著書『中国の赤い星』を発表し、中国共産党の血塗られた過去を消してイメージ回復の基礎を作った。327:毛沢東は、貴重な情報とまったくの虚構をないまぜにしてスノーに聞かせた。スノーはこれをそっくりそのまま呑み込んで、毛沢東と中国共産党指導部を「素直で、腹蔵なく、気取らず、潔い」と評した。毛沢東はAB(アンチ・ボルシェビキ)団の粛清など拷問や殺人の歴史を隠し、中国を横断した行軍に「長征」という巧妙な名前を付け、盧定橋のような戦闘や英雄譚をでっちあげた。(中略)モスクワとのつながりを完全に隠し、アメリカとの友好関係を望んでいる、とも語った。多くの人々が、これに完全にだまされた。558:毛沢東が飛行機で移動するときは、中国領内の飛行機は全機着陸させられた。毛沢東の専用列車が動くとき(連絡はいつも出発直前だった)は、それ以外の列車はすべて待避しなければならないので、国の鉄道網は大混乱に陥った。561:毛沢東は国の資産を横領した人間を処刑する一方で、自分はその何倍もの金を使って快楽を追求していた。人民に節制禁欲を強制する一方で自分は快楽を追求し、しかも表向きは「為人民服務」の手本を演じていた。毛沢東ほど自分の欲望を際限なく追及する一方で人民の欲望を徹底的に否定した矛盾だらけの支配者は、ほかに例を見ない。
562:軍の文工団から若い女性たちが次々に選び出された。歌い手や踊り手のほかに、別荘に待機する看護師や女中も精選され、毛沢東はその中からセックスの相手に好きな女性を選ぶことができた。
