2016年06月12日
西長尾城跡

一月前になるが、GW最終日「香川大学のブラタモリ」こと、工学部の長谷川修一教授と綾歌の城山・猫山へ向かう。長谷川先生は10年近く「讃岐ジオパーク構想」を推進されていて、私も大学在籍中に一緒に活動した。今回は、公開講座「讃岐ジオサイト探訪」の一環で、こちらには引き続き参加させてもらっている。
城山・猫山は東西に連なる標高400-500mの丘陵地で、地質は典型的な讃岐平野の里山。基盤は領家変成岩類の砂質片岩、領家花崗岩類で、山頂付近には讃岐岩質安山岩が載ったキャップロック構造になっている。この讃岐岩質安山岩のうち、特にガラス質が多いものがサヌカイトである。
城山の山頂には西長尾城という山城が築かれていた。山頂からは、北には讃岐平野(写真)、南には阿讃山脈が一望でき、戦略的によく考えられている。以下、丸亀市の観光案内から(平成の大合併で丸亀市に編入)。
ここには落差30mという香川では最大級の琴ケ滝もある。普段の水はチョロチョロで徳島県人には「これが滝?!」と笑われるが。

讃岐を代表する著名な山城の一つとして、綾歌町南部の城山山頂付近に所在する「西長尾城跡」が挙げられる。西長尾城は、白峰合戦での軍功を認められた三野郡詫間郷筥御崎領主海崎伊豆守が長尾大隈守元高と名乗り、応安元年(1368)に城主となり、中讃の拠点として活躍した城である。以来、代々の長尾一族によってこの地で勢力を拡充しており、炭所、岡田、栗隈などに支城を構え、阿野、鵜足、那珂郡の南部で勢力を誇った。
天正六年(1578)からの土佐の長宗我部元親による讃岐侵攻によって、長宗我部氏の重臣である国吉甚左衛門が城主となる。この際に城域の拡大・整備を図っており、国吉城とも呼ばれている。天正十三年(1585)、豊臣秀吉の四国征伐によって廃城となる。