2016年06月16日
英語教育の愚論愚策
これも共感する話。「まず断言できることは、小学校の英語教育導入を主張する人達のほぼ全ては英語ができず国際人でもない」というのには、私の周りの賛成論者・反対論者を見ても納得である。語学は一時期集中的にやらない限り身に付かないから、週に1,2時間ではどうしようもない。
「英語を使う職業につく希望を持つ者だけが中学から全力で始めればよい」を実施するためには、英語を選択制にするのが良いと思う。日本人の9割は英語と関係のない人生を過ごす。仕事で日常的につかわない限り、学生時代にソコソコでも、どうせ忘れる。それなら、教養とか論理性とか体力とか、身につければ誰もが一生の宝となるもっと重要なことに時間を使った方がいい。
選択制にすることで、本人も「自分はどういう職業に就きたいか、どんな人生にしたいか」を考えるきっかけにもなる。その上で英語を学ぶことを自分で選択したら、結果的には今よりも多くの人が使えるレベルに達すると思う。今は、必修科目だから、「自分は興味ないのに強制される」というイメージから必要以上に英語を遠ざけている生徒も多い気がする。
57:かって英語の小学校導入が決められた頃、私はこう書いた。「5年生から英語を週一、2時間教えても話せるようにはならないから次には3,4年からとなる。それでもだめだから1,2年からとなる。すると1,2時間では足りないのだ、2,3時間にしようとなる。それでも日本人は話せるようになれない」。その通りの進行だ。58:一つ目は、日本人の大半は小学校1年から毎週3時間ずつ英語を学習しても話せるようにはならないということだ。幻想を国民に抱かせるのは罪である。日本語と英語はあらゆる点でそれほどかけ離れている。英語を使う職業につく希望を持つ者だけが中学から全力で始めればよい。授業だけでは到底足りず独力で猛勉するしかない。
59:さらに困ることに小学校から長年英語にかまけていると、古今東西の名著を読む時間がとれず教養が身につかない。例外的に有能な者を除き、「教養と外国語並び立たず」なのだ。かつて英文学者の中野好夫氏は「語学ができるほどだんだん馬鹿になる人間の方がむしろ多い」と述べた。
