2016年05月08日
弥次さん喜多さん
これも、「教科書で名前だけは知っているが、読んだことはない」本の一つだったのを、連休中に現代語訳で読んでみる。
それぞれのエピソードはたわいもない。神田に住むはちゃめちゃでスケベな「弥次さん北さん」がお伊勢参りを思い立ち、東海道を下るのだが、各宿場で繰り広げられる騒動は毎回同じと言えば、同じ。だまして、だまされて。見境なくナンパしてと、物語に発展性がないのだ。
これが江戸時代を通して、最大のベストセラーだったという。今でいう大衆小説。
そもそもの設定がすごい。弥次郎兵衛(数え50歳)が駿河の国の出身で、実家は裕福な商人だったが、放蕩が過ぎて借金が払えず江戸に夜逃げ。すらすら狂歌や漢詩が出てくる教養の高い人物でもある。ここまではいい。
その弥次郎兵衛の居候が喜多八(数え30歳)。元々は駿河で、弥次郎兵衛の馴染みの「陰間」なのだ
つまり、江戸時代に茶屋などで客を相手に男色を売った男娼であった。特に、数え年13-20歳の美少年による売春をこう呼んだという。「陰間」とは本来、歌舞伎でまだ舞台に出ていない修行中の少年役者のことらしいが、彼らは男娼を兼業するものが多かったため、こう呼ばれるようになった。歌舞伎と言えば、今では男がやるものだが、当初は「女」歌舞伎であった。女優は売春婦でもあり、歌舞伎を見ながら客が品定めをし、指名する仕組みだったようだ。当然、パトロンもいただろう。江戸町奉行所はこれを風俗を乱すものとして寛永6年(1629)に女性が舞台に立つことを禁止する。
すると今度は、元服前の少年による「若衆歌舞伎」が盛んになる。しかし、彼らも売春を兼業しており、男性客を中心に、女性客も取っていた。そこで、町奉行所はこれも禁止する(1652)ものの、歌舞伎は江戸っ子に人気があったため、再開が嘆願され、「野郎歌舞伎」として再開される。
女形にとって男に抱かれることは必須の役者修行と考えられていたらしく、歌舞伎再開と共に、「陰間」業も再開する。芝居の幕が引けた後、ひいき客の酒席に呼ばれ・・・という具合。
とまあ、今や、日本の伝統芸能的に捉えられることさえある歌舞伎も、その発祥は風俗業まで兼ねた大衆娯楽であった。これは、武家の庇護を受けて「芸術」として完成された能とは全く違う。歌舞伎で「格」がどうの「家柄」がどうのと言われると、何なんだろうと思ってしまう。
もっと気楽に楽しめればいいのだが、こんぴら歌舞伎も今やプラチナチケットだ。

