2016年05月03日

事件ノンフィクションの金字塔

誘拐 (ちくま文庫)
本田 靖春
筑摩書房
2005-10-05


どこかで「ノンフィクションの傑作」と紹介されていたので休みに読んでみる。村越吉展という4歳の幼児が誘拐され、殺害された「吉展ちゃん事件」が起こったのは昭和38年(1963)というから私の生まれた年団塊の世代以上の年代の人は必ず覚えている事件だという。

何から何までが異例なのだ。

・日本で初めて報道協定が結ばれる
・公開捜査に移った後、TVとラジオで犯人からの電話音声を公開し、情報提供を求める(実際、「そっくりだ」と警察に申し出たのは犯人の実兄だったが、証拠不十分でその時点では逮捕に至らず)
・警視総監自らがマスコミを通じて、犯人に「親に返してやってくれ」と呼びかける
・迷宮入り寸前で捜査担当者を総入れ替えし、3回目の捜査で別の犯罪で逮捕され服役中だった真犯人を逮捕
・これまで「通話の守秘義務」に阻まれて電話の逆探知が出来なかったが、この事件を機に、郵政大臣通達が出され、可能になる
・1965年3月この事件を主題とした楽曲『かえしておくれ今すぐに』発売
・事件解決をうけて1965年7月5日NHKが放送した『ついに帰らなかった吉展ちゃん』は関東地区で59%の視聴率(今日に至るまでワイドニュースの視聴率日本記録)

当時と言えば、高度成長期の始まったころ。映画でいえば『三丁目の夕日』、マンガなら『サザエさん』の時代(朝日新聞連載は1951-74年)。「あの時代はよかった」とノスタルジックに語られることが今は多いが、現実は大変であったようだ。

プライバシー保護という概念がなかった当時、被害者宅にはあろうことか、連日いたずら電話が相次いだという。吉展ちゃんの死亡が確認されてなかったため、犯人を装って、自分が再度身代金をせしめようというのもあった。

今も振り込め詐欺が流行る位だから、変わっていないと言えば、変わっていない。日本人は他人の視線があると礼儀正しいが、匿名性が確保できる場では、日本人の倫理性はあてにならない。



50:日本電電公社が法律をたてに主張する、「通話の守秘義務」にはばまれて、それが出来なかったのである。警視庁の強い要請で郵政大臣通達が出され、逆探知に公社が全面的に協力するようになったのは、それから一カ月後のことである。

149:幼稚な過誤は、随所に見られた。七日未明に奪取された身代金は、四日に用意されたものである。新聞紙にしか頭の行かない彼らは、紙幣番号を控えるという、操作技術上、いろはのいに属することも、忘れていたのである。そして、身代金授受の現場への張り込みが遅れたときては、弁解の余地がまったく見当たらない拙劣さであった。

204:この種の脅迫者は、自分を特定されない空間に置き、受動的な立場をしか選べない相手を、思いのままにいたぶる。闇の中の存在である彼は、そういうとき、普段は決してあらわさない奥深くひそめた残忍さを、海中の発光虫のように、隠微に解放させているに違いない。

205:脅迫者に次いで村越家の人々を苦しめたのは、もともとの宗教の狂的な信心家たちであった。これが、入れかわり立ちかわり、押し掛けてくる。(中略)辟易させられたのは、数をたのんで座り込み、なかなか退去しようとしない、大きな勢力を持つ宗教団体の信者たちであった。

210:(捜査)本部に寄せられた情報は、こうしたものを含めて、38年6月末日までの三カ月間で、約9500件に達していた。うち5540件が犯人を名指ししたものである。その中には、捜査協力が目的ではなく、明らかに他人の中傷、誹謗をくわだてたものが少なからず入っていた。自営者は同業者を、会社員は職場の同僚、上役を、ただ困らせるだけのための目的で犯人として指名していた。嫉妬や憎悪の対象は、他人の範疇にとどまらず、妻が夫を、父が息子を、兄が弟を、といったように、家族、肉親にも及んでいた。

341:保が獄中から『土偶』に寄せた短歌は、一回の休詠もなく、378首にのぼった。

344:東京拘置所から宮城刑務所へ移されて刑の執行を待っていた保は、46年12月23日の朝、死刑台へのぼったのである。満39年にわずかだけ及ばない生涯であった。 


shikoku88 at 07:26コメント(0) |  | 経済 

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