2016年05月04日
つながらなかった大東亜共栄圏
韓国延世大学に交換留学していた時、クルマは右側通行なのに、電車は左側通行であることに気付いた。日本はじめ世界中、クルマも電車も、右側通行なら右、左側通行なら左と統一されている。
戦前、朝鮮半島で初めて鉄道網を作り、道路を整備したのは日本で、当然、その時は全て左側通行だった。戦後、韓国はアメリカ主導となり、クルマはアメリカ式に右側通行に変えられたのである。しかし、鉄道はそう簡単に変えられない。それで、道路と鉄道で通行方式が違うことになってしまったと聞いている。
本書は戦前の大東亜共栄圏の交通網がどうなっていたかを研究した書。大東亜共栄圏は今考えると驚くほど広い。南はマレー半島、東は南洋諸島、北は内モンゴル、西はビルマ(ミャンマー)まで。この広範囲を結ぶ交通網を作ることは、結局、出来なかった。
今考えても無理があるのだから、当時の日本の経済力と技術力では到底無理だったろう。この結果、石油をめぐって始まった戦争は、オランダ領インドネシアの石油施設を確保したにもかかわらず、技術者不足で生産が軌道に乗らない。1943年にやっと生産が軌道に乗った時には、日本に運ぶ船舶が足らない。そして、すぐに制海権・制空権をアメリカに奪われ、日本に資源を運ぶことは絶望的となる。
まさに「帝国日本の交通網は張り子の虎」であった。「点と線」どころか、度重なる鉄道や道路に対する襲撃、そして制海権・制空権を奪われたシーレーンで、線も「破線」でしかなかった。
*帝国日本の交通網は「張り子の虎」鉄道、海運、航空の交通網はズタズタ→兵站・物資流通を確保できず24:朝鮮半島最初の鉄道1899 京仁線(京城⇔仁川)1901 京釜線(京城⇔釜山)*渋沢栄一、三井、三菱72:民間航空でまず郵便飛行1928 日本航空輸送フォッカーF7b/3M→後に中島飛行機がライセンス生産1930 羽田新飛行場1939 大日本航空半官半民=独占204:日本軍による中国の占領「点と線」都市と都市を結ぶ線=鉄道&道路に対する妨害&襲撃(鉄道通信への妨害:華北での月平均230件)238:1943/3/2-3ビスマルク海海戦陸軍徴用輸送船7隻 合計29000t全滅 陸軍部隊7300人
