2016年02月13日

明治維新とは何だったのか



明治維新(1868)が起こって150年近くになる。長い日本の歴史の中では短いともいえる期間だが、その間の変化はとてつもなく激しかった。300諸侯が自治を行う侍の世の中から、天皇を中心とする中央集権国家となり、アジアで真っ先に近代化を果たした。日清・日露と大国との戦争に勝利したところから道を誤り、一度は焦土と化す。戦後は、アメリカの軍事的保護の下うされる。だから、しっかり歴史を勉強したほうがいいと講演しているのだという。

その筆者の講演をまとめたもの。軽妙なエッセイや、本格的歴史小説で知られるが、「近代史入門」として読みやすい。

7:明治維新とは何だったか。この原動力は一点に尽きます。欧米列強の植民地になってはならないーーこれだけです。

56:何百年、何千年とかかって積み上げられてきた言葉の中には、その地方の風土が育んだ独特の気性、気質、性格がこもっています。だから方言が失われると、その土地の気性が失われるんです。言葉は風土の保存装置なのです。

58:土地の名前を変えるなど、それ自体が文化の破壊です。数字で番号を振ってしまえばいいというのは、いかにも乱暴で便宜的です。

61:日露戦争以降、大正四年(1915年)までの陸軍の常備兵力は、師団の数にして、わずか21個師団でした。(中略)第一次世界大戦が大正七年(1918年)に終わると、軍縮が世界の潮流になって、どこの国でも軍隊を縮小します。その結果、日本では17個師団まで小さくなりました。陸軍の総人数で25万人。これは今の自衛官の総数とほぼ同じ規模です。

91:映画『史上最大の作戦』といえば、第二次世界大戦のノルマンディ上陸が舞台ですが、連合軍の数は17万6千人です。満州国境から押し入ってきたソ連軍が160万人もの大兵であったということも、私たちはまず誰も知りません。教えられてもいません。

96:しかも世界は、北方領土問題に関して「日本はこんな簡単な話も決着をつけられないのか」という目で見ています。だから竹島問題が起き、尖閣問題が起こるのだと思いますね。「日本は領土意識が甘い」「外交能力がない」と見透かされているのでしょう。

144:植民地を作るとき、先兵としてまず派遣されるのがイエズス会の宣教師でした。イエズス会の宣教師が現地へ行き、おびただしい情報を本国に送って、その地域の状況を理解した上で、最終的には植民地にしてしまう。それが常套手段であると、秀吉も家康もわかっていたから、キリシタンを弾圧したわけです。

190:法という概念が人類社会に登場したのは案外新しく、それ以前には何が社会規範になっていたかと言えば礼儀ですね。「礼」が廃れたから「法」を作らざるをえなくなったというのが、人間社会の流れです。だから法が万能というわけでもなくて、現代でも法に先んずる礼式がなくてはいけないんですね。 


shikoku88 at 13:12コメント(0) |  | 政治 

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