2016年02月12日
ロンドンで本を読む
正直に言うと、東大卒の友人には「敵わないなー」と言う人が何人かいる。その教養の幅と深さが私とは桁違いなのだ。それも、無理して「教養を身に着けました」という感は全くなく、好奇心の赴くままやっていたら自然とこうなったという感じなのだから嫌になる。ああいうタイプに早稲田では会ったことがない。仕事上は微妙な差なのかもしれないが、やはり「違う」と思わざるを得ない。
ロンドンに留学していた時、同級生にOxfordやCambridge卒が何人かいて、その時感じたのも、この教養の差。同じ試験と面接を受けて数十倍の倍率を潜り抜けて入学しているので、学力上はそれほど差がないはずなのだが、話していて付いていけなかった。
東大卒の作家は沢山いるが、その東大教養主義?の代表と私が思っているのが丸谷才一。エッセイを読んでいてその博覧強記ぶりに驚かされる。東大英文科の卒で、卒論はJames Joyceだったらしい。
その著書に、『ロンドンで本を読む』があるのだが、こちらはまだ読んでなくて、その本についてご本人が書いたエッセイ「本のジャケット」から。イギリスの書評を読むのが好きで、これが40年以上続いているという。
ここに出てくる「調理法=receipt』の話は、1950年代の話。大英帝国の瓦解が最終段階に入った時期だが、支配階級と労働者階級の言葉は全く違っていた。勿論、今でもイントネーションは明らかに違うのだが、支配階級は今でも調理法のことをreceiptと言い、上着のことをcoatと言うのだろうか?あまり聞いたことがない。
55:イギリス書評がどういうふうに優れているかは、その本の序文に詳しく書いてありますが、まづ分量がたっぷりある。中身が濃い。そして書きっぷりに芸がある。たとへば終わり方にしたって、日本の書評みたいに、「近来の良書と言へよう」とか、「多少の問題はないでもないが一読に値する好著である」とか、そんな詰まらぬことは書かない。
56:こんな注は実際なくてもいいと思えるところに、いくつもの誤りが散見される。アグラはガンジス河畔にはない。ウィンチェスターはロンドン・ポーツマス間の鉄道沿線にはない。(中略)これは重箱の隅をほじくることになるかもしれない。でも、シャーロック・ホームズは何と言っていたかな?「僕の方法はきみも知っての通りだよ。些細なものの観察が基本になっているのさ」(The Economist『オックスフォード版シャーロック・ホームズ全集』の書評)
61: Bevis Hiller 『フロント・カヴァー』の書評
イギリス労働者階級 支配階級
調理法 recipe receipt
上着 jacket coat (コートはover coat)
「ジャケットを着てるのはポテトだけ」
