2016年01月02日

元気で長寿の秘訣

生きて行く私 (角川文庫)
宇野 千代
角川書店(角川グループパブリッシング)
1996-02-19


多情な人である。夢中になるものがあると、対象が人であれ事であれ、後先考えずに突っ走ってしまう。これは、「人一倍好奇心が強い」ということにも通じるだろう。

「長く生きたいから何か特別なことをするというのは私の流儀ではない」という。朝風呂が好きだから毎朝入るのであって、「健康のため」に入っているのではない。

好奇心が強ければ、言われなくてもあれこれ試す。「気持ちいいこと」が習慣として残る。色んなことがやりたいので、稼がなければならないし、時間をねん出すべく、使い方を工夫する。それらが全て、結果的に、健康にいいことになっていそうだ。

ただ、人間は脳が暴走した動物なので、「体に気持ちいいこと」と「脳が錯覚して」気持ちいいと思うことを区別できない。例えば、タバコやアルコールは異質な化学物質を体内に入れることなので、体にいいはずはないが、それを「気持ちいい」と脳は錯覚してしまう。

宇野さんの場合は、「生まれてこの方、満八十五歳になる今日まで、一度も頭痛がしたと言うことがない。一度も肩がこったと言うことがない。一度も腰が冷えたと言うことがない」(p358)と書いておられるので、体が遺伝的に、自然と体に良いこと悪いことを区別しているような気がする。


45:私はどんな男からの申し込みであったとしても、自分は決して結婚しないものと決めていた。何故か。前にも書いたように私は、この、自分の、人の眼には別嬪と見える顔が、実は兎の足で作られた化粧の顔であることを、片時も忘れてはいなかった。いつ、この誤魔化しが見破られるかと思うと、その怖ろしさに、そんな所へ嫁に行く気など、夢にもないのであった。

66:私は何か仕事をして、その報酬として、金の儲かることを、決して卑しいこととして退けることはなかった。いまになって考えると、私は十六歳の春、小学校の教師となったときから、八十四歳の今日現在に至るまで、何か仕事をしていなかったと言うことは、一日もなかった。縫い物の賃仕事をしていたこともあった。食堂の給仕女であったこともあった。仕事は何でも宜かった。

163:いつものことであるが、私の建てる家は、奇妙奇天烈なものであった。一階が住居、二階が事務所である。通りから這入る入り口の左側に風呂場がある。家の入り口に、すぐ風呂場があるとは、何と言うことか。朝起きると、すぐ風呂へ這入るという生活には、風呂は大切な設備である。私にとっては、この風呂が入り口にある、と言うことは当然のことであった。

165:生涯の中に、私の建てた家は、あの、馬込の藁葺きの屋根の家を入れて、全部で十三軒であった。しかし、どの一軒として、そこに腰を据えて、住むためのものではなかった。

357:昨日、瀬戸内晴美さんから、海老を送って来た。開けて見ると、おが屑の中から、生きた海老がもくもくと動いて出てきたではないか。私は吃驚して、瀬戸内さんに電話をかけた。「瀬戸内さん、生きた海老がもくもくと動いて出て来たのよ。あのまま煮たりして食べるの」「大丈夫よ。もう私がお経を読んでおいたから」と言って、あはははははと大声で笑うではないか。海老はもくもくと動くのが性分なのである。動くな、と言っても駄目である、と言って、笑うではないか。

374:長く行きたいからなにか特別なことをするというのは私の流儀ではないのである。しかし、そういう私にも、もう少し生きていたいという気持ちはある。なぜかというと、私は人一倍好奇心の強い人間だからである。あと四年ほど生きれば二十一世紀になる。新しい世紀に入った世界をこの目で見たいと思っているのである。明治、大正、昭和、平成と生きてきて、その上さらに二十一世紀が見たいとは我ながらなんと呆れたものではないか。 


shikoku88 at 17:26コメント(0)トラックバック(0) |  | 提言 

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