2015年09月28日

桃太郎の末裔たちの国

歴史を紀行する (文春文庫)
司馬 遼太郎
文藝春秋
2010-02-10


桃太郎が史実に基づいている、というのが面白い。ここでも再び、帰化人の影響。

176:岡山県といえば日本でも有数の頭脳県とされている。ここから輩出した秀才官僚、軍人、学者はあげてかぞえるにたえず、いまでこそ日本中が教育ママのるつぼになったが、この県はそういう点での先駆県

181:「宿場町ですからね」(中略)どうしても人はすれっからしになりがちだというのである。時勢に昂奮するのは僻地の藩であり、こういう天下の公道の目抜きの一等場所にある藩はそうはいかないという。

187:「温羅」という悪漢が、当国最大の古社吉備津神社(岡山市)の社伝に登場する。悪党ながらおそらく気概にとんだ朝鮮人だったのであろう。族人をひきい、海をわたって日本に上陸し、最初は日向国に住み、つづいて、吉備国にあらわれ、「予は百済王である」と称して、国中に君臨し、いまの総社市の阿曾あたりに城をきずいた。記紀でいう第十代崇神帝のころだというから、まことに時代は古い。社伝によればこの温羅がじつに凶悪で、近郷を荒らし、海に出ては船荷をかすめ、美女とみれば掠奪し、国中の者はこれを鬼とよんでおそれたという。吉備国の力ではこれをどうすることもできなかったから、国人たちは援けを大和にもとめた。大和から派遣された痛快無比な英雄が、吉備津彦である。
「それが桃太郎ですよ」

193:倉敷の資産家たちのほとんどが明治後産業革命の波にあらわれて傾き、新規事業をした大原家ぐらいが栄えた。先代孫三郎というひとは複雑な個性のひとであったが、岡山県における桃太郎型の巨大な代表者で、
「なにが善であるか」
を生涯追及した。蓄財を一種の悪徳と見、これを社会に還元することをかれの善とした。


shikoku88 at 08:00│Comments(0)TrackBack(0) | 史跡・公園

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