2015年03月02日

あるブラジルの日本人起業家

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ブラジルに行くというと、「任期が終わるから、有休を取って旅行ですか?」とよく聞かれるが、仕事です(笑)。

きっかけは、昨年のJICA日系人MBA研修。日系三世を中心に10人の研修生を2週間英語で教えた。これでJICAから貰った業務委託費があり、任期が終わる前に「元々日系人研修で貰ったお金だから、現地の日系人起業家調査に使おう」と決めた次第。

昨日サンパウロに到着して、ホテルまで送ってもらう道すがら、早速お話を聞く。本格的には月曜日に会社訪問して。

・広島県呉市の出身で、現在80歳
・お父さんは海軍工廠で働いてた
・戦後、呉の工業高校を出た後、東京の工業系専門学校に進学
・まだ戦後の混乱期で、日本が経済大国になると思っている人はほとんど居なかった
・東京でしばらく働いたのち(アンリツ)、27歳でブラジルに渡る(1962)
・当初5年間、日本の電子計測器メーカーに勤務
・32歳で独立して商社(日商岩井)に居た友人と電気製品の商社&修理業を始める
・その後分かれて、電気製品の修理業として再独立
・ブラジルの工業化が1970年代から始まり、設備投資関連需要が増える
・これを好機として、日本の計測器メーカーの総代理店となる
・1980年代販売好調であったが、輸入関税が高いため、現地でのノックダウン生産を決める
・工場用地を購入し、製造のための部品発注をしたところで、コロル大統領(史上初の国民投票で選ばれた大統領)が工業製品の関税を大幅に下げる決定
・現地生産しても合わなくなり、大損害を被る
・子供は3人
・長男と長女はスイスジュネーブの音楽学校を出て音楽家
・長男はフランスでチェロを、長女はスウェーデンでバイオリンを演奏
・次女はブラジルの大学を出た後、日本で働く
・日本人と結婚して、日本在住
・ルーラ前大統領(2003-2010)から社会主義的政策が強まり、ブラジルの将来に希望が持てなくなった

ということであった。3人の子供がいて、ブラジルには一人も居ないというのに驚いた。日系人は教育熱心で子弟には能力に応じて最高の教育を受けさせている。結果として、国内の状況が悪ければ移住してしまうということだろう。親は日本から移住したのに、皮肉なことである。

写真:泊まっているPaulista通り

shikoku88 at 11:51│Comments(0)TrackBack(0)仕事 | 旅行

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