2015年02月08日

政治と秋刀魚

政治と秋刀魚 日本と暮らして四五年
ジェラルド・カーティス
日経BP社
2008-04-17



日本の政治を研究して45年になるコロンビア大学の政治学者による自らの半生記であり、筆者が見てきた日本の現代政治史であり、日米の比較文化論でもある。

何しろ、佐藤栄作(首相1964-1972)から始まって、福田康夫(首相2007-2008)までの20人の首相のうち、宇野宗佑(首相1989)以外の19人と親交があったという第一級の日本政治学者である。宇野首相は、カーティス氏が米国出張に行っている間に首相に就任、帰国する前に辞めてしまったから、ついに首相として会うことはなかった。69日の総理在任期間は、歴代4位の短さだという。

宇野氏については、私も留学準備の最中で、殆ど印象が無かったが、改めて調べてみると多才で有能な政治家であったらしい。文人肌で、普通なら首相になるはずのない権力基盤の弱い政治家が、リクルート事件で有力政治家が皆首相に成れない中、お鉢が回ってきた。自民党で、派閥首領でない政治家が首相になったのは初めてだった。
21:優れた政治家は、自分が置かれている立場から離れて、状況分析を客観的にできる才能を持っている。私が知っている何人かの政治家は、政治状況を話す時、第三者のように自分の名字を使って話した。三木さんも竹下さんもそうだった。

22:竹下さんのような政治家にとっての「政治」とは、なにより権力闘争である。権力を掌握して、それを維持するゲームである。だから、政策は官僚に任せ、権力闘争に明け暮れる。しかし、消費税導入のように、ここぞというときには、国にとって重要な政策を自分を犠牲にして通す。それが政治指導者の義務と考える。

111:東京に着くと、まず区役所に行く。なぜかというと、外国人登録をすれば、日本国民でないにもかかわらず、私でも「国民健康保険」に加入できるからだ。

151:「失われた10年」で、何も変わらなかったのではない。
政治や経済運営のシステムがうまく対応し切れなかった反面、社会的にはマグマのように大きな変化への胎動があった。90年代は日本近現代史の中の大きな分水嶺であったと思う。

165:日本で間違いなく悪平等と言えるのは、大学教授の扱いである。それが平等であるからこそ、全く不公平であることも明らかである。
 この点に関して、アメリカと日本の比較は実に興味深い。日本の大学の先生は最初から終身雇用である。アメリカは厳しい。一流大学なら7年間、助教授、准教授として働いたうえで、大学がその人が所属する学部以外の教授による委員会を設けて、ヒアリングする。学部長が証言したり、その人の専門分野と同じ国内あるいは海外の研究者に評価の手紙を依頼したりする。研究の評価によって、終身在職権(テニュア)を与えるかどうかを決める。テニュアを得るために、若い学者は一生懸命研究するし、テニュアを得られない人は他大学で仕事を探すことになる。日本の大学の平等社会とアメリカの競争社会の際立った違いである。
 日本の大学教授の給料と昇進は、ほとんど年功序列で決まる。良い本を書いた先生でも、たいした論文を発表しない先生でも、学生の関心を引くように努力する先生でも、毎年同じ講義を行う先生でも、教えている年数が同じであれば、給料はほとんど変わらない。まさに社会主義である。

219:小泉政権は、日本の政治史の中で意義ある面白いインターミッション

260(あとがき):日本は激しい変化を行いながら、特有な文化と価値観を守ってきた。日本人は日本に自信を持って、思い切って日本を変えていくべきだ。半世紀近く日本と暮らしてきた私は、いまがそういう時だと思う。 


shikoku88 at 07:51│Comments(0)TrackBack(0) | 政治

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