2015年01月18日
御岳物語
JALで飛ぶときは、真っ先に機内誌の「つばさよつばさ」を読む。浅田次郎氏のエッセーで、これが軽妙でいいのだ。
今回の出張の友に持ってきたのは、図書館で適当に選んだ奇譚集。エッセーでも時々、氏の育った家庭事情について触れられている部分があるのだが、この短編集で分かったのは、氏の母親は、武蔵御岳神社の出で、浅田氏も子供の時分から学校の休みには御岳山の上で過ごしていたということだ。
創建は紀元前ともいわれる名門神社には、語り伝えられた物語が沢山あるという。子供のころから聞かされてきたという話を基に書いた短編が2本この本にもおさめられている。いずれ、『遠野物語』ならぬ『御岳物語』を書きたいという。
虫篝:東京オリンピックからこっち、どうしようもねえ人間を百人の上は面倒見てきたんだけど、体のいいやつはみんな何とかなった。景気の良しあしなんてものは、ある程度まともな暮らしをしているやつらが口にすることだな。生活保護だの執行猶予中だの、人生ぎりぎりのところで踏みとどまっている人間にとっちゃあ、それほど関係ねえのさ。ともかく、働きさえすりゃ飯が食える。食がねえなんていうのは、選り好みをする余裕のあるやつが言うセリフだ。
客人:どぶさらい。だが、汚い仕事じゃない。世の中を清めることが宗教なんだ。人間は清らかなものをどんどん汚してしまうから、坊主が掃除する。
お狐様の話:私の家は父方の祖母も神事を怠らず、嫁である母も巫女であったから、毎朝この祝詞はいやでも聞かされていた。いずれも神主の子か孫である子供らは、布団にくるまったまま小声で伯母に唱和した。
