2014年09月25日

美味礼賛

美味礼讃 (文春文庫)
海老沢 泰久
文藝春秋
1994-05


美食にはほとんど興味のない私だが、先日放送された「カンブリア宮殿」の辻調理師専門学校がすごかったので、その創業者のことが知りたくなった。そこで読んだのが、この本。

創業者の辻静雄は東京の和菓子屋の息子。朝早くから仕事をしなければならず、休みも少ない家業を嫌って、2浪の末早稲田の仏文に進学。成績が悪く、卒業後は第一志望の朝日はじめ東京の新聞社にことごとく落ち、まだ大阪進出したばかりで人が足らなかった大阪讀賣にかろうじて入社する。

要領が悪くて記者としてもパッとしなかった辻だが、仕事で花嫁修業の日本料理学校を経営していた辻徳一と知り合う。その一人娘と結婚て後しばらくして讀賣を退社。折しも、厚生省が「調理師制度」を導入することになり、花嫁修業の女性ではなく、プロを目指す調理師学校を新たに設立することにする。(1960) これが、辻調理師学校(辻調)の始まり。

本物を追求して、毎年、フランスの一流店に食べに行き、有名店のオーナーシェフと信頼関係を築く。そして、そこで学んだ知識を惜しげもなく著作にまとめ、また教師の育成に心血を注ぐ。調理師学校が出来るまでは、店で何年も修行して、技は「盗むもの」だった。やり方も店によって違い、どれが一番いいのかもわからない。それが、お金さえ払えば、包丁を握ったことのない人間が、1年で、その時点で最も良い手法を学べる。

東京に進出しようとした辻調は、厚生省の役人と結託した調理師学校協会の執拗な妨害を受ける。学生に本物を体験させるため食材は最高のものを仕入れ、教師の研鑽のため海外留学までさせる。そのため辻調の学費は日本で一番高かったが、「最高の技術を学びたい」真剣な学生で学生数も最大であった。そんな辻調に東京に進出されては経営が圧迫されると業界団体が反対したのだ。

小説の体裁をとっているので、脚色はあるが、ほぼ史実。「食」だけでなく、「教育」に関心のある人にはぜひ薦めたい。村上龍が評して、「唯一無比の学校」である。

17:そのとき彼はロンドンでおこなわれた世界銀行の会議に大蔵省の局長として出席し、そのあとで日本のある銀行のロンドン支店長と会ったのだ。(中略)町田修一はまずその店で一番値段の高い懐石料理のコースを頼み、それからボーイが渡したワイン・リストを見た。(中略)町田修一は気に入った。なんといっても、フランスでもっとも高い価格で取引されているというところがすばらしいではないか。しかしこの男はこの高いワインを飲ませるだろうかと目の前の銀行の支店長を見て思った。町田修一はこれまでありとあらゆる金融会社の接待を何百回と受けてきたが、さすがにこれほど高い酒はまだ注文したことがなかった。(中略)それから20万円もするワインがあまりにも簡単に手にはいったことにちょっと驚いた。彼はそのレストランで、シャトー・ペトリュスを結局2本飲んだ。2本目を頼むときには、もうためらいも何も感じなかった。

329:辻静雄は学校の予算に余裕ができると、すぐに校長専用車のジャガーを買い、これでやっと新聞記者時代の気が晴れたといった。朝日新聞の記者は自由にハイヤーを乗り回していたのに、自分はいつもタクシーに乗る許可を取らなければならなかったことをずっと忘れないでいたのだ。

368:もうすこししたら息子の瑞樹もイギリスのべつのパブリック・スクールに入れることにしていた。(中略)しかし彼は、教育に関してはイギリスがもっともすぐれていると思っていたので迷わなかった。

408:革命で本物の中国料理を食べる階層が消滅してしまったからさ。だから腕のいい料理人がみんな香港と台湾に行ってしまったんだよ。


shikoku88 at 17:53コメント(0)トラックバック(0) |  | 教育 

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