2014年09月28日

稀代の大旅行家



これだけの大旅行をしたイギリス人女性だから、小さいころからのお転婆で、スポーツに親しんでいた・・・のかと思ったらとんでもない。「生来病弱で、18歳の時には手術まで必要だった彼女がこの旅(1854年の最初の外国旅行)に出たのは、健康を回復したからではない。健康のために、危険とも無縁でない大洋の航海を伴う旅に出ることを医師から熱心に勧められたからである。結果は旅の成功と旅行記『英国女性の見たアメリカ』の大評判だった。」(p371解説)

1878年には明治初期の日本を訪れ、東北地方を訪れ、『日本奥地紀行』を書いている。この時も、「神経痛や間歇熱、脊髄の痛みなどが再発して気持ちも落ち込み始め、医師から勧められた結果だった。(中略)日本を選んだのは、英国ではよく知られていない古くからの事象が豊かにある点に関心をそそられ、それを見聞して楽しむことが健康回復に役立つと考えられたからである。」(p373解説)

病気になると冒険旅行を勧める医師というのが面白いが、それが世界を制覇したビクトリア朝英国の気風だったのか。それとも、彼女の侍医の個人的偏見だったのか興味深いところだ。何れにせよ、この医者のおかげで、バードはビクトリア期を代表する大旅行家になり、出版した本の印税で資産家になった。我々が、今でもこれらの第一級資料を読めることをこの医者に感謝しなければならない。

これだから人生は面白い。


34:スイカの種
スイカの種(瓜子)は食品というよりも楽しみのためのものと言った方がよい。ペルシャでそうであるように、膨大な量が消費される。(中略)これを食べることは一つの国民的習慣なのである。英国の男性がワインや蒸留酒を飲んで楽しむところを、中国人はスイカの種を食べて楽しむのである。

77:群衆は私の乗った覆いのない轎を見つけた。このような轎は彼らには珍しかったので、憎悪の対象となった。そして、優に2000人を超える男が、棒切れや荷物棒を振り回し、「外国の悪魔」とか「子供食い」といった言葉をわめき散らしながら、また、轎かきに向かって轎を下ろせと言いながら、小石だらけの堤防を駆け下りてきた。(中略)石が轎めがけて雨霰のように投げつけられた。そして一つの大きな石が私の耳の後ろに命中した。このひどい一撃によって、私は前に倒れこみ、気を失ってしまった。

305:アヘンの常用癖
アヘンの常用が癖になりだす1、2ヵ月の間は、それをやめたいと思う人が一杯いることを私はほとんど疑わない。かなりの費用がいるにもかかわらず、アヘン患者保護所はいつも人であふれている。(中略)外国製の薬は白い色をし、モルヒネを含んでいる。何万人もの人が自力で直そうと試みるが、その試みは哀れで、多くの場合はアヘン常用癖からモルヒネ常用癖に変わるだけである。近頃はモルヒネの菱形錠剤が、簡便でだれにも怪しまれない手段として国中で大流行しており、なくてはならないものとの評判を得ている。特に旅行時には都合がよいとされる。中国へのモルヒネの輸入量は今や膨大で、1898年には135,283オンス(3800kg)に達している。

353:私はいまなお「門戸開放」政策が正当かつ得策だと信じ、それに対立し取って代わる「勢力圏」政策は有害だと考えるものである。中国における改革を「急がせ」、その遅れにいらつき、「支配欲」に取り憑かれている多くの人々は、「門戸開放」政策はあまりにも時代遅れだと主張する。(中略)ソールズベリ候は1898年6月末に、「もし中国におけるわが英国の政策について尋ねられたら、私の答えは極めて簡単なものだ」と言った。つまり、我々(西洋諸国)が大清帝国に与えうるのはこの国を維持して崩壊に陥らないようにし、改革への道筋をつけることである。このことがこの国の防衛を完全なるものにし、この国の商業的繁栄を推進することになる。
 


shikoku88 at 09:48│Comments(0)TrackBack(0) | 旅行

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