2014年01月31日
千石船見たけりゃ仁尾へ来い

同じ三豊市にある仁尾だが、これまで行く機会は殆どなかった。買い物や遊びに出かけるといえば、中学までは高瀬駅前、高校時代は高校のある丸亀、今では勤務先のある高松になる。
今回、週末に町並み探索をしてビックリ。名所・旧跡が沢山ある。考えてみれば、ここは江戸時代とても栄えた港町で、大規模な塩田もあった。酢・酒・醤油の醸造業や土佐茶を扱う茶商売が盛んだったという。「千石船見たけりゃ仁尾へ来い」と言われたらしい。当時の流れを引く会社が今も仁尾にある。(仁尾興産)
明治になって鉄道が敷かれるとき、仁尾は港が栄えていたのと、塩田の富があったので、積極的に誘致しなかった。その結果、予讃線は仁尾を通らずに、詫間から東に曲がって高瀬を通ることになったと聞いている。その結果、交通の中心が船から鉄道に移る中で、仁尾の町は取り残された。さらには戦後、製塩法が工場で作るイオン交換膜法に変わり、塩田が廃止され街は長い停滞期に入るのである。
しかし、そのおかげで、古い町並みが残された。このパターンは、お隣徳島の「うだつの町」脇町に似ている。長い間特産の藍取引で栄えてその間に立派な町並みが出来たが、ドイツで化学染料が発明されたため、一気に町が廃れてしまう。逆に、そのために、高度成長期に開発が進まず古い町並みが残されたのである。
時代は巡って、この古い町並みが活かされる時が来たようだ。後は、それを可能にする企画と、実行する人だ。そこに資本は付く。