2013年11月30日
8.19満州最後の特攻
この本を読んで、満州に特攻隊があったことを初めて知った。それも、戦時下、おそらく唯一「自主的に」結成された特攻隊である。そして、隊員の一人は、終戦直後、新妻を特攻機に乗せて、夫婦一緒に体当たりした。
その経緯は本で読んで欲しいが、これは決して日本人が忘れてはいけない歴史だと思う。「あとがき」に書かれた親族の対応が余りにも悲しい。満州から引き上げる避難民を少しでも救うため、終戦後、軍の武装解除命令に背いてまでもソ連戦車隊に特攻して死んだ祖先の事が全く語り継がれないどころか、「興味がない」と知ることさえ拒否する。これでは、同胞のために死んでいった隊員が報われない。
高級士官を上回る高給が支払われていた戦時下の外国人娼婦を慮る一方、明らかな戦争犯罪である満州の日本人難民への暴行、虐殺は教科書でもほとんど触れられていない。そして、ソ連(ロシア)は、そのことに対して何の謝罪もしてない。終戦後も、ポツダム宣言に反して、100万人を越える日本人を強制労働に使った。過酷な環境で、死者は約34万人と推定されている。(シベリア抑留)
S20.8.19没 谷藤徹夫・朝子(現・青森県むつ市田名部)290:『孫たちへの証言 激動の昭和をつづる』来須富子の手記『野獣の館』250名の四合成開拓団の一員として逃避行→ソ連兵による避難所での強姦・時間も場所もわきまえない。空き家に連れ込まれるのは良識がある方。通路といわず、人前といわず、至る所で行われた。・妻が連れて行かれるのを見て、夫が「止めてくれ―」、叫んで立ち上がったとたん、「ずどーん」と一発。294:8月14日葛根廟事件(ソ連戦車隊による、満州日本人避難民への凄まじい蛮行)14両の戦車と20台のトラックが岡上に現れた瞬間、浅野参事官は即座に白旗を揚げて無抵抗を示したが、ソ連軍は機関銃で浅野を射殺し、丘の上から猛スピードで突進してきた。約二千数百名が悲鳴をあげて一斉に走り出すと、ソ連軍は草原を逃げ回る避難民の群れを追いまわした。次々に轢き殺されていく死体がキャタピラに巻き込まれて戦車の後方から飛び出し、宙に待って草原に放り出された。約二時間におよぶ襲撃を終えてソ連兵が去っていくと、周辺で虐殺現場を見ていた中国人たちが暴徒化して生存者を襲い、下着に至るまで身ぐるみを全て奪っていった。ある女性はソ連兵に子供を殺され、続いて襲ってきた暴民に衣服を全て剥ぎ取られたうえに鎌で乳房を切り落とされた。そして中国人が去った後、生存者の自決が始まった。310:神州不滅特攻隊自主的に結成されたため、軍の記録上は存在しない→戦没者として認められなかった*S32になって初めて、証言により戦没者となり、遺族年金が支払われることになったあとがき:実は当初、私は神州不滅特別攻撃隊の11人の隊員全員について描きたいと思っていた。最初のむつ市での取材があまりにスムーズに進んだので、他の隊員についても「出身地に行けばなんとかなるだろう」と甘く考えていたのである。・・・しかし正直に実情を明かすと、谷藤家以外の遺族の取材は不調に終わった。移転のため親族が見つからなかったときもあるが、大概は谷藤家と同様に、隊員を直接に知る親族がすでに亡くなっていたため、甥や姪に取材を申し込んだ。しかし、谷藤家のように語り継がれていることはなく、「伯父(叔父)のことをよく知りませんし、遺品は何も残っておりません」と取材を断られた。私は「せめてどうして自主的に特攻したのか、私が調べたことを聞いていただけませんか?」と粘ったが、その申し出も「興味がありません」「忙しいから無理です」と一蹴され、インターホン越しの会話のみでドアを開けてもらえないときもあった。

