2013年01月19日
私の履歴書 森喜朗
大学3年の時から読んでいた日経新聞を取らなくなってからもう10年になる。理由は、「ネットの普及で要らなくなったから」なのだが、唯一気になるのが「私の履歴書」。いわずと知れた著名人による自伝だが、新聞連載のためなのだろうか、それぞれの個性が出て面白い。
昨年12月の森喜朗元首相のを偶然読んだら面白く、結局、先週の連休にバックナンバーを取り寄せて全部読んでみた。
森さん、状況をよく見ている。優れた状況判断力を持っていたと思うのだが、首相より女房役の方がよかったのかな、というのが読んだ感想。
・父・茂喜も早大。親子二代のラグビー部。終戦はトラック諸島北部水曜島の守備隊長として迎えた。
・復員した途端、農地を小作農に「自主解放」してしまった
・昭和28年から9期連続無投票当選で根上町長を36年間務めた
・喜朗はラグビー部推薦で早大商学部に入学するが、病気で退部。大学も退学しようとするが、大西鐵之祐監督に、「ラグビーだけが大学じゃない。早稲田精神を身につけて世の中の役に立つ人間になれ。」と一喝されて思いとどまる。
・同郷の先輩に勧められ、雄弁会に入会。2年先輩に西岡武夫、1年先輩に青木幹雄、同級生に深谷隆司、1年後輩に玉沢徳一郎、2年後輩に小渕恵三。直近の卒業生に海部俊樹、藤波孝生、渡部恒三。(雄弁会の黄金期?)
・将来は政治家を目指すことにし、そのステップとして新聞記者を志望
・雄弁会の縁で自民党代議士の紹介を貰い、産経新聞に入社
・日本工業新聞で二輪メーカーや農業機器メーカーを担当。ホンダの四輪進出をスクープ。
・担当していた井関農機から誘われて、愛媛3区今松治朗代議士の秘書に(井関から出向)
・5年間秘書を務めるが、昭和42年の選挙で今松氏が落選し、まもなく急死し、郷里に戻ることを決意
・今松氏が内務省出身議員で岸信介元首相の直系議員だったおかげで、石川県から初出馬した森氏に岸信介が応援来てくれる
・昭和44年12月27日の第32回総選挙でトップ当選(32歳)
昨年12月の森喜朗元首相のを偶然読んだら面白く、結局、先週の連休にバックナンバーを取り寄せて全部読んでみた。
森さん、状況をよく見ている。優れた状況判断力を持っていたと思うのだが、首相より女房役の方がよかったのかな、というのが読んだ感想。
・父・茂喜も早大。親子二代のラグビー部。終戦はトラック諸島北部水曜島の守備隊長として迎えた。
・復員した途端、農地を小作農に「自主解放」してしまった
・昭和28年から9期連続無投票当選で根上町長を36年間務めた
・喜朗はラグビー部推薦で早大商学部に入学するが、病気で退部。大学も退学しようとするが、大西鐵之祐監督に、「ラグビーだけが大学じゃない。早稲田精神を身につけて世の中の役に立つ人間になれ。」と一喝されて思いとどまる。
・同郷の先輩に勧められ、雄弁会に入会。2年先輩に西岡武夫、1年先輩に青木幹雄、同級生に深谷隆司、1年後輩に玉沢徳一郎、2年後輩に小渕恵三。直近の卒業生に海部俊樹、藤波孝生、渡部恒三。(雄弁会の黄金期?)
・将来は政治家を目指すことにし、そのステップとして新聞記者を志望
・雄弁会の縁で自民党代議士の紹介を貰い、産経新聞に入社
・日本工業新聞で二輪メーカーや農業機器メーカーを担当。ホンダの四輪進出をスクープ。
・担当していた井関農機から誘われて、愛媛3区今松治朗代議士の秘書に(井関から出向)
・5年間秘書を務めるが、昭和42年の選挙で今松氏が落選し、まもなく急死し、郷里に戻ることを決意
・今松氏が内務省出身議員で岸信介元首相の直系議員だったおかげで、石川県から初出馬した森氏に岸信介が応援来てくれる
・昭和44年12月27日の第32回総選挙でトップ当選(32歳)
