2012年12月14日
標語外交との決別
昨日の、岡本行夫氏の記事の続き。
「標語外交との決別」というのが面白い。
・日本は「世界への貢献」だの「アジアと欧米の架け橋」だの、旗印を掲げて何もしない
・中国との「戦略的互恵関係」もそう。互恵と言いながら、中国は自分たちの利益がかかることで、ただの一度も譲ったことはない。
・日本はこうした標語を作ると、思考停止と不作為に陥る。それが最も楽だからだ。
日本中にあふれる「標語」への苦言は本blogでも過去2度に渡って書いている。なるほど、標語を作って、ポーズだけつくり、やった気になるのは「思考停止」以外の何者でもない。
尖閣でも、この「思考停止と不作為」で、中国の宣伝の一方、日本は何もしてこなかった。何もしてなければ、国際世論は「日本は中国の主張を認めているのではないか」という見方になる。
・日本は軍事大国に囲まれ、地政学的に不安定。経済状況も厳しい。
という前提から、岡本氏は安全保障の「教科書的」選択肢を示す。
・どこかの国との同盟
・武装中立
・集団安全保障
集団安全保障は、国連の取り組みが代表的。大国の利害が絡まない、かつ、小規模な紛争解決には効果を発揮しているが、大国の利害が絡んだ紛争には全く無力であることを歴史は示してきた。
武装中立というのは、スイスなどの永世中立国が取っている手法。スイスは国民皆兵制であり、小さな国を針鼠のようにして守っている。重軍備が必要だが、「国防軍」と名称を変えるだけで反対が出るような国では実現のめどは立たない。
従って、「日本はどこかと軍事同盟を組むしか選択肢がない」というのが岡本氏の結論。勿論、これは、岡本氏が外務官僚としておそらく最重視してきた「日米同盟」の追認でもある。「アメリカの犬」と言われようが、「では、対案を示せ!」というのが本音ではないか?(私の推定)
日本で面白いのは、「アメリカの犬」批判をするグループほど、「では、どうやって国を守るのか」の対案がないこと。世界の常識では、「平和=軍備(でなければ平和が守れない)」だが、日本はその点、ぶっ飛んでいる。それが、いいのか悪いのか。
「標語外交との決別」というのが面白い。
・日本は「世界への貢献」だの「アジアと欧米の架け橋」だの、旗印を掲げて何もしない
・中国との「戦略的互恵関係」もそう。互恵と言いながら、中国は自分たちの利益がかかることで、ただの一度も譲ったことはない。
・日本はこうした標語を作ると、思考停止と不作為に陥る。それが最も楽だからだ。
日本中にあふれる「標語」への苦言は本blogでも過去2度に渡って書いている。なるほど、標語を作って、ポーズだけつくり、やった気になるのは「思考停止」以外の何者でもない。
尖閣でも、この「思考停止と不作為」で、中国の宣伝の一方、日本は何もしてこなかった。何もしてなければ、国際世論は「日本は中国の主張を認めているのではないか」という見方になる。
・日本は軍事大国に囲まれ、地政学的に不安定。経済状況も厳しい。
という前提から、岡本氏は安全保障の「教科書的」選択肢を示す。
・どこかの国との同盟
・武装中立
・集団安全保障
集団安全保障は、国連の取り組みが代表的。大国の利害が絡まない、かつ、小規模な紛争解決には効果を発揮しているが、大国の利害が絡んだ紛争には全く無力であることを歴史は示してきた。
武装中立というのは、スイスなどの永世中立国が取っている手法。スイスは国民皆兵制であり、小さな国を針鼠のようにして守っている。重軍備が必要だが、「国防軍」と名称を変えるだけで反対が出るような国では実現のめどは立たない。
従って、「日本はどこかと軍事同盟を組むしか選択肢がない」というのが岡本氏の結論。勿論、これは、岡本氏が外務官僚としておそらく最重視してきた「日米同盟」の追認でもある。「アメリカの犬」と言われようが、「では、対案を示せ!」というのが本音ではないか?(私の推定)
日本で面白いのは、「アメリカの犬」批判をするグループほど、「では、どうやって国を守るのか」の対案がないこと。世界の常識では、「平和=軍備(でなければ平和が守れない)」だが、日本はその点、ぶっ飛んでいる。それが、いいのか悪いのか。